瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(10)

 硫黄島の記述について。岡田章雄訳『エルギン卿遣日使節録(新異国叢書9)』(昭和43年11月10日初版発行・定価2600円・雄松堂書店・前付14+298+索引13頁)は、凡例(前付7頁)の1項めに、次のように説明されている。

一、本書はローレンス・オリファント著『一八五七、五八、五九年におけるシナ及び日本へのエルギン伯使節団の物語』(一八五九年、ロンドン刊)二巻のうち、日本に関する部分、すなわち第二巻第一章から第十二章までの邦訳である。本叢書に収めるため便宜上『エルギン卿遣日使節録』の書名を付した。


 念のため原書の書名を挙げて置くと「NARRATIVE of THE EARL OF ELGIN'S MISSION to CHINA AND JAPAN in the years 1857, '58, '59 by LAURENCE OLIPHANT」である。エルギン伯ジェイムズ・ブルース(1811.7.20〜1863.11.20)の使節団は1858年に来日して日英修好通商条約を締結している。ローレンス・オリファント(1829〜1888.12.23)はエルギン伯の私設秘書であった。
 第三章、59頁に以下のように見えている。

……。薩摩の地方には莫大な量に及ぶ硫黄が産出する。それはわが国が日本と貿易を行なう項目の一つとなるだろう。その国の南端に硫黄ケ島 Ivogasima すなわち硫黄の島がある。その島はたえず燃え続けているといわれる。この島の鉱山から薩摩の領主は年収二百箱の銀を得ている。……


 ところで、第一章の冒頭近く(1〜2頁)、長崎入港前、長崎港口の「Iwosima」が見える。

……。八月二日の午後になってはじめて陸地の影を認め、やがて数個の高い、尖った、まるで絵にかいたような形をした岩礁の側を通り過ぎた。それはところどころ緑に覆われていたが、とうてい人の住みつけるようなところではない。これら峨峨たる標識は、日本の海岸からは見られない。それはロバの耳 Asses' Ears〔牧島〕と呼ばれている。つぎの朝早く、日本の高地が視界に入った。一番近くにあるのが伊王島 Iwosima であった。……


 フォーチュンは硫黄島を「Iwo-sima」と表記していた。オリファント伊王島(現、長崎市伊王島町)を「Iwosima」と表記して、硫黄島は「Ivogasima」である。これはシュリーマンの表記と一致している。