瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

明治期の学校の怪談(2)

 昨日「讀賣新聞」の記事を引っ張り出して来たのは、先日来、血迷って『遠野物語』の関連本をあれやこれやと借りて来てしまって、――こんなにいろいろな文献が出ていて、こんなものに目を通していたらどっぷり浸かることにならざるを得ない、だから勿体なくて論文という形にしたくなりそうだ、けれども論文を書こうという気力もこういう文献を全て引き受ける余裕もないから、……摘み食いでブログに書き散らしておこう、と嘆息しているところなのだが、その中に、石井正己『『遠野物語』を読み解く(平凡社新書460)』(2009年5月15日初版第1刷・定価740円・平凡社・252頁)というのがあった。石井氏は本当に『遠野物語』関連の本をたくさん出していて、似たようなことを、本の形式(研究書・新書・文庫・ビジュアル本・講演・雑文集)を変えたりして、次々と発刊しているので、石井氏の軌跡を辿るだけでも大変そうなので、もう諦めた。素人は業界事情を知らぬうちはあれこれと言いたくなってしまうものだが、少し知り始めるとちょっと尻込みしてくる。ただ、素人なりにしょーもない突っ込みくらいは、して置こうというばかりである。
 話を戻して、石井氏の『『遠野物語』を読み解く』の書影を貼り付けておく。

『遠野物語』を読み解く (平凡社新書 460)

『遠野物語』を読み解く (平凡社新書 460)

 この本の第六章「現代伝説の誕生」(137〜156頁)の最後の節(153〜156頁)が「石を降らす狐と「学校の怪談」の誕生」というのである。この節の前半はともかく、問題は「学校の怪談」の誕生」に相当する後半(155〜156頁)である。書き出し*1は、

 実は、佐々木喜善は、大正三年(一九一四)の「ザシキワラシ」(『郷土研究』第二巻第六号)で、学校に出たザシキワラシを報告しています。

となっていて、2話を要約して紹介、コメントを付している。
 さて、この佐々木氏の文章であるが、山田野理夫編『遠野のザシキワラシとオシラサマ』には収録されていない。それは『遠野のザシキワラシとオシラサマ』に再録されている『奥州のザシキワラシの話』に、同じ話が文章は違うが二ノ二三・二四として見えているからだろう。
 原文は俄に読みづらいのかというと、そうではなくて、柳田國男『妖怪談義』に収められている。また、水野葉舟も1話、『奥州のザシキワラシの話』二ノ二三と同じ話を紹介している。以下、これらの文章の関係と、それから石井氏のコメントの問題点について、整理してみたい。(以下続稿)

*1:「実は」は、やや唐突な印象。