瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

岩本由輝『もう一つの遠野物語』(6)

 初版に於ける岩本氏の“サムトの婆”についての見解を確認した。
 実は本書の内容については、4月28日付(1)に追補版のカバー裏表紙(追補版1)に掲載された目次を示したくらいであった。そこで4月30日付(3)に示した「刀水歴史全書」の目録から、本書の説明を抜いておく。

葉舟・喜善によって書かれたもう一つの「遠野物語」の発見。柳田をめぐる人間関係、執筆前後の事情から山人〜常民の柳田学の変容を探る 275p ¥2200


 本書の前半(102頁まで)は『遠野物語』と同じ話を、佐々木喜善から柳田氏よりも先に聞いていた(そして柳田氏に佐々木氏を紹介した)水野葉舟と、佐々木氏本人が記述しており、それらとの比較検討を通して柳田氏及び『遠野物語』を「聖典視」する態度から離れて相対化しようと試みたものであり、後半(103頁以下)ではそこから当時の舞台裏からその後の柳田学の展開へと視野を広げる。
 この“サムトの婆”はその意味でも恰好の例であったので、イントロダクションに当たる「第一部 遠野と民話―目前の出来事」(3〜30頁)でも、自身の昭和54年(1979)8月の遠野旅行をもとに、『遠野物語』ブームから観光地化する遠野への疑念を表明し、タクシーの運転手が「実は『遠野物語』に出てくる話には、自分たちが年寄りから聞いて育った話とは、ずい分、筋立ての違ったものがある」が、そうした話をするとお客さんから「『遠野物語』にはこう書いてあるのに、間違って案内しては駄目ではないか」と注意され、面倒なので「今では『遠野物語』をそらんじて、それで案内していることにしている」という証言を紹介し、「おそらく柳田の聞き違い」である「寒戸」が「慣用するようになっている」ことを挙げて、「柳田の筆のあやまりが地名を変えるというのは、何ともおかしな権威主義である(九四頁参照)」としていた(14〜15頁)。
 ところが「〔追補版〕あとがき」では、これが勇み足であったことを明らかにしているのである。(以下続稿)

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 ただ、勇み足であったことは事実としても「権威主義」や「聖典視」というのはその通りだろう。「聖典」というと拒否反応を示す人もいるだろうからもっとあっさり云うと「書いたもんが物言う」ということだろう。
 私の中学には「七不思議」があった。教育実習に行ったとき、後輩たちにそのいくつかを紹介したことがある。中1の1学期でまだ夏合宿も済ませていないので、残念ながら特に異説を言い立てる生徒もおらず、卒業後に変化があったかどうかを確認することも出来なかったのだが、――休み時間に女生徒が3人私のところに来て、「先生の言った話は本に載っているのと違う」と言い出した。うちの中学の話が何か本に紹介されたことがあるのかと吃驚して尋ねてみると、なんとそれは常光徹の『学校の怪談』シリーズ(講談社KK文庫)に載っているのと違うと言うのであった。あれはうちの学校の話じゃない、と言っても、なんだか納得していない様子であった。
 とにかく、書いたもんが有名になりすぎた場合、もうその後の調査ではその影響を排除出来なくなる。だとすると現在の遠野で民俗がどうのと言ったところで、それは芭蕉の「貞徳の涎」発言ばりに言うと柳田の涎を舐っているようなものだ。『学校の怪談』は、常光氏のが今も権威として機能しているかどうかは分からないが、柳田氏は今でも権威だろう。『遠野物語』のテーマパークと言ったら言い過ぎかも知れないが、意識して観光地化しているのだからそれに近いように思える。だから行きたいと思えないのである。