いろいろ書いて来たが、たぶんこんなことはもう誰か研究者が問題にしていることなのだろう。問題にしていなかったとすれば、それこそ怠慢である。しかし文庫本への突っ込みとしてはやや瑣事に入り込み過ぎている感はあるが、研究論文じゃあないんだし、たぶん新潮文庫の吉本氏の文への突っ込みは他にないみたいなので、もうしばらく続けてみたい。休み休み。
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この遠野三山の女神の由来は、信仰の問題に絡んでくる。私には信仰心がないので、吉本氏と同じく、こんな話は「もちろん事実でないことがはっきりした伝承・伝説」だろうとは思う。しかし問題は、事実とは思えないのに事実みたいに記述している、ということではないだろう。霊感の話ではないが、話者が事実と思っているか、記述者が事実として記述しているか、が問題なので、吉本氏や私の受け止め方を定義の問題に含めるのはおかしいのではないか。
確かに、三人が住む山を決定したのは「大昔」のことであるが、最後の一文はこうなっている。
若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。
女神たちは「大昔」以来「今も之を領し」ているので、「今も此山には遊ばずと云へり」とは、吉本氏は5月12日付(11)で指摘したような、奇妙な「云へり」の解釈で読んでいるのかも知れないが、ここは「今もこの山には遊ばないと云っている」ということで、これもまさに「現在の事実」なのである。もちろん「大昔」の話も、女神がいると信じて、女神を信仰している人たちには、事実として受け止められていたであろう。(以下続稿)
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『遠野物語』からは離れるが、佐々木氏は早池峯の女神に実際に会ったという老人の話を聞いて「縁女綺聞」の「九」節に記録している。長くなるので引用しないが、この老人、若い頃に早池峯の女神の愛人(?)になって、女神との性交の様子を微細に語っていたというのだ。「縁女綺聞」は本山桂川編『農民俚譚』か山田野理夫編『佐々木喜善の昔話』改め『遠野の昔話』(宝文館出版)に収録されているが、この部分、伏せ字だらけである。真偽はともかく、昭和の初年にこういう話を「事実」として語る人物がいた、ということを、言い添えて置きたい。