瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柳田國男『遠野物語』の文庫本(08)

 吉本氏の評価は、要するに、文学作品としての評価なのである。他の連中が自然主義とか反自然主義とかやっていた時分に、『遠野物語』を「文学」として提示したのであれば、それは確かに「屹立」して見える。序文も本文も文学趣味が濃厚である。その後同じような話の蒐集は、佐々木喜善を始めとする民俗学に志す人々によって、それこそ現在に至るまで続けられているが、あんな文体で記述した例は殆どない。本人が言っているように「殆ど文学作品と言って良い」訳だ。だから文学と民俗学の鵺みたいなものということになるのだが、それもこれも、どっちでも良いものをどっちかに引き付けて解釈しようとするから、鵺みたいに見えるだけなのだ。尤も、意味のない分類をして、恣意的な定義を適用して、価値を判断しようとした論文*1も世間には少なくないのだけれども。

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 さて、吉本氏は続けて、『今昔物語』が「今ハ昔……トナム語リ伝ヘタルトカヤ*2」というスタイルを持つ、日本・中国・インドの昔話の物語(故事・言い伝え・同時代の面白い話)であるとした上で、こんなことを始める。

……。いま『今昔物語』のスタイルにのっとって、『遠野物語』を分類できないかかんがえてみる。すると三つに分類できそうだ。これを取り出してみる。
 第一に「体験体」、あるいは「体験譚」というスタイルがかんがえられる。つぎは「事実体」、あるいは「事実譚」というのが一つ、もう一つあえて分類すれば「伝承体」、つまり「伝承譚」というのが設定できる。大雑把に「体験体」あるいは「体験譚」というのは、数えてみると三十一から三十三、「事実体」あるいは「事実譚」は七十三くらい、「伝承体」というものは、三篇くらいある。足しても『遠野物語』の話の数全部とあわないが、それは中間と見られるスタイルが重複するためだ。『遠野物語』の特色を作っているスタイルは、記述者、言いかえれば作者としての柳田国男の特色だとみなしうる。それはいまあげた三十三の体験譚のスタイルにあつまっているといっていい。


『今昔物語』のスタイルにのっとって」と云うので、『今昔物語集』にこんな3つのスタイルがあるのかと思ってしまうのだが、全く関係ない。『遠野物語』の「スタイル」は別に『今昔物語集』に「のっとって」いないし、「のっとって」考えなきゃいけない訳でもない。『遠野物語』のスタイルを考えた上で、『今昔物語集』のスタイルと比較すれば良いだけの話なのだから、紛らわしい書き方はしないで欲しい。
 それはともかく、3つのスタイルに分類してそれぞれの数字を挙げているのだが、どの話がどれに当たるのか、はっきりさせていない。いくつかはこれに続く「体験譚」以下3つのスタイルについて説明した箇所(102〜110頁)で、例として丸々引用され、それ以降の部分での引用でも分類に触れているが、それだけでは困るので「中間と見られるスタイルが重複するためだ」という曖昧さを含む分類であれば尚更、31〜33と73と3の内訳を示して、吉本氏の判断基準をこちらも検証できるようにして欲しい。検証するのは面倒だけど。
 それから、「体験譚」=『遠野物語』の特色、という式は良いとして、「記述者、言いかえれば作者としての柳田国男の特色とみなしうる」とは飛躍ではないか。吉本氏が「体験譚」をどのように捉えているのか、まだ説明されていないが、怪談でも一番迫力があるのは体験談である。古い伝承や事実だとされる又聞きよりも強い印象を残すのは当然だろう。云わば当り前のことだ。それを吉本氏は、スタイル=文体、の問題にして、柳田氏の手柄のように考えようとしているようだ。だから一々「体験」「事実」「伝承」と言い換えているのだろう。いや「〜」の方を先に出して「〜譚」を言い換えにしているのだが、ここで、「言いかえれば」「とみなしうる」「といっていい」のような、一見控えめな印象を与えながら少々強引でも自分の読みたいように運んでしまうフレーズの使用とも相俟って、『遠野物語』を文学作品(小説)ばりに理解しようという吉本氏の思いを正当化させるような、『遠野物語』(の特色)=柳田国男(の特色)、という式が、いつの間にか成立しているのである。(以下続稿)

*1:どちらとも取れる作品を無理にどちらかに分類して、その無理矢理当て嵌めたジャンルの定義からズレていることを「限界」「不徹底」と呼んだりする類。

*2:「……タルトカヤ」ではなく「……タルトヤ」。このような記憶違いに基づく誤記は編集者が適宜訂正するべきだろう。