私はこの話を読んで、「あ、ここにたこ焼きがあった」と三嘆これ久しうしたのであった(三島由紀夫風に*1)が、普通の人には別にたこ焼きなど見えないので、念頭にあるとないとで、文学作品の読みは大幅に変わってしまう。私はそういうのは嫌なので、まだ業界に属していた頃は、専ら実証研究みたいなことばかりやっていた。誰が読んでも解釈の誤りのないような、がちがちに考証を重ねて傍証を積み重ね、意外な資料を付き合わせて人の意表を衝く筋を引くことを少々のハッタリとして利かせつつ、異論の余地のない(つもりの)説明をして、しかし文学論みたいな話にはしなかった。他人の論文を読んでいても、考証を重ねているパートでは面白いのに、最後に無理矢理「文学」の論文にするために、実証研究を突如妙ちきりんな文学論と結び付けて、ファンタジーを語り出すのである。急に検証不能な与太話になる。そしてどうも、このファンタジック・パートがないと、イケないらしい。よく、――お前の発表を聞いて、事実は分かった。けれども、それがどうした、と言われた。よく調べてあるだけじゃないか、というのである。私は調べもしないのにファンタジーを語るくらいなら、調べた結果の確実なところを示して、野放図なファンタジーを粉砕して、これ以上奇妙なことを言わせないようにしてやることの方が今後の研究のために余っ程意味がある、と思っていたから聞き流していたが、しかし、……それもこれも若気の至りであった。
変な話になったが、だからと言って与太話が嫌いなのではない。論文で与太は止して欲しいと思ってるだけで、口ではしょーもないことをぺらぺら喋っている。で、どこが「たこ焼き」なのか、いい加減『西鶴諸国ばなし』に話を戻そう。
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巻一ノ三「大晦日はあはぬ算用」、巻一「目録」にはこの題の下に「義理」という咄の主題が示されていて、題の脇には「江戸品川にありし事」と「諸国咄」らしく場所が示されている。
主人公は原田内助という浪人で、年の暮に妻の兄の医者から「貧病の妙薬 金用丸 よろづによし」という薬の処方に事寄せた上書の、金十両を恵んでもらう。確かに今でも変なものをもらうくらいなら現金の方が「よろづによし」ですな。そこで内助は悦んで浪人仲間を呼び集めて酒を振舞う。そして、義兄の趣向を示しつつ小判を座中に回すのだが、お開きにしようと小判を回収してみるに1枚足りない。で、これを巡って浪人であっても武士としての高潔な精神――「義理」を忘れぬ、内助とその友人たちの清々しい姿が描かれるのだが、それは私の注目するところではないので、興味のある方は原文で確かめられたい。
私が「あっ」と思ったのは、この所在不明になった小判がどこから見つかったか、である。
座敷で小判の行方の詮議が紛糾している折柄、内助の妻が台所から「小判は此方にまいつた」と小判を重箱の蓋につけて現れる。山芋の煮染めの「ゆげ」で、蓋にくっつき、そしてそのまま気付かずに下げてしまった、というのである。
これこそ、まさに「たこ焼き」が蓋にくっついたのと良い勝負ではないか。山芋の湯気だからと言って粘り気が含まれる訳ではないから、別に山芋でなくても何でも良いはずなのだが、とにかく蓋に付いている水滴に何かの拍子に、こう、張り付いて、……蓋の裏にくっついて気付かない、という趣向は300年前に既にあったのである。
と同時に、私の脳裏にはもう1つ、しょーもない、やはり蓋にくっついて気付かない話が、閃いたのだった。(以下続稿)
*1:『小説とは何か』の「「あ、ここに小説があった」と三嘆これ久しうしたのは」による。