川尻祐治*1『鎌倉を歩く(RIBUN BOOKS)』(2004年4月5日・定価1,400円・里文出版・201頁)。18.8×11.8cm。カバー表紙折返しの右下に「カバー表 谷戸坂の切通し/カバー裏 称名寺の陰陽の滝/ 撮影 湯川晃敏Ⓒ」とある。
- 作者: 川尻祐治
- 出版社/メーカー: 里文出版
- 発売日: 2004/03
- メディア: 単行本
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まず「東部地区」として[1]から[11](13〜51頁)、「東南部地区」として[12]から[19](52〜81頁)、「西部地区」[20]から[36](83〜138頁)、「北部地区」[37]から[49](139〜183頁)、最後に「鎌倉巡礼」[50](184〜193頁)。
表紙の切通しは「[32]鎖大師から谷戸坂の切通しを行く」(126〜128頁)に紹介されているが、「しかし現在は崩壊の危険があるということで切通しの通行は閉鎖されている(カバー写真)。」(128頁上段)。「平成十六年三月」付「あとがき」(200〜201頁)によれば、「鎌倉朝日」に「鎌倉谷戸あるき」と題して平成10年(1998)から13年(2001)まで43回連載したものがもとになっているとのこと(200頁)*2だから、この連載から単行本刊行までの間に閉鎖されたのであり、まさに川尻氏の「今のうちに歩かないと鎌倉がなくなってしまう」との危機感(201頁)の実例となっているのである。
カバー写真の右手を挙げて何かを指している男性は川尻氏(1936生)*3、右の同じ年輩と見える女性は夫人であろうか。
それはともかく、塩嘗地蔵は2箇所に見えている。
43〜45頁「[9]滑川に沿って歩く」の44頁に以下の記述がある*4。
……十二所のバス停を右に入り光触寺橋を渡れば時宗岩蔵山光触寺の門前に出る。寺には鎌倉時代の優れた阿弥陀三尊像が本尊として安置されている。境内の塩嘗地蔵とよばれる石造地蔵菩薩も伝説で名高い。
むかし六浦の塩売りは、朝比奈の峠を越えて鎌倉に塩売りに来ていた。険路をようやく越し、これも地蔵さんの御利益と、一掴みの塩を奉納した。塩を売った帰り、地蔵に立ち寄ると塩が無くなっていたという。これはきっと地蔵さんが嘗めてくれたのだろうということから、塩嘗地蔵の名が生まれたといわれる。
また、「[50]鎌倉の札所を巡る」の188頁下段〜190頁「地蔵霊場/鎌倉二十四地蔵尊霊場(明治三十四年復興)」に以下のように見える(188〜189頁)。これは「宝暦年間(一七五一〜六四)に江戸深川木場の親方衆が中心になって開いたという。」(188頁)
5 光触寺 霊場本尊 石造塩嘗地蔵*5
六浦の塩売りが、朝に供えて帰りに見ると、いつも/塩がなくなっていたことから塩嘗地蔵の名が起きた。