瑣事加減

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塩嘗地蔵(036)

中野正皓『写真家が足で探した 鎌倉の秘道 切通し・やぐら・花の寺』1999年10月20日・2300円・日本写真企画・164頁)A5判並製本・カバー

写真家が足で探した鎌倉の秘道―切通し・やぐら・花の寺

写真家が足で探した鎌倉の秘道―切通し・やぐら・花の寺

 6〜91頁「第一章――中世鎌倉の面影を残す切通(七口)をゆく」と92〜157頁「第二章――山腹の霊場隠れた「やぐら」を探る」から成る。各章の最初の見開きは鎌倉の略図に所在地が示され、総説に当たる文がある(第一章は4頁、第二章は2頁)。
 第一章は「[一]三浦一族に備えた軍事拠点 名越切通し/[二]一夜にした切り開いた 朝比奈切通し/[三]元弘三年、鎌倉攻防の激戦地 巨福呂坂切通し/[四]急坂に亀も引き返す 亀ケ坂切通し/[五]新田義貞、鎌倉攻めの主戦場 化粧坂切通し/[六]随所で見られる戦略地形 大仏切通し/[七]極楽寺開山・忍性が開いた 極楽寺切通し/■その他の切通洞門のごとく聳え立つ 釈迦堂口切通し」の8つの節に分かれる。まず1頁めに各切通しの概説と略地図、それから、軍事施設など、かなり細かい観察に基づく写真が掲載され、ところどころに囲みコラム「撮影―ワンポイント・アドバイス」が挟まれる。石造物の写真も多い。そして節の最後の2〜4頁が「周辺のみどころ」になっている。
 光触寺は第一章[二]の42〜43頁「周辺のみどころ」に、熊野神社十二所神社(42頁)とともに挙がる(43頁)。「境内に咲くアジサイ/ひっそりと佇む山門/ほのぼのとした塩嘗地蔵」の写真が掲載され、説明文の前半に次のようにある。

光触寺の本堂右手にある塩嘗地蔵は/かつては金沢街道の傍にあった石像/で、六浦の塩商人がその前を通るた/びに初穂として塩を供えたところか/らその名がついたという。……*1


 以下「頬焼阿弥陀*2」の由来譚が3行分ある。
 第二章の方は12節に分かれている。初めの1頁が解説と略地図であるのは第一章に同じ、途中や最後の「撮影―ワンポイント・アドバイス」も各節にあるが、「周辺のみどころ」はない節もある。
 なお、101〜107頁「百八やぐら群」の最初の説明文にもあり、また106頁に【首なし地蔵が並ぶ】として紹介されている首なしの石像だが、106頁の説明文に「明治になってから、ここに八十八体の石地蔵を祀り、弘法八十八箇所霊場と呼んで、納骨供養も営まれた。ところが地蔵の首は博徒にかき盗られ、胴体ばかりのものが多い。」とあることからも察せられることだが、写真を見るに右手に三鈷杵、左手に数珠を持つ弘法大師座像である。「石地蔵」ではなく「八十八体の石造弘法大師座像を安置し」たから「弘法八十八箇所霊場と呼」ばれた、としなければ通らない。「博徒」からすれば「地蔵」に見えたのだろうが。
 2〜5頁(頁付なし)は「目次」、158〜159頁「鎌倉の年表 平安時代から大正時代まで」、奥付(160頁、頁付なし)まではカラー、161〜164頁「著者おすすめの散策ガイド」として「史跡と自然を楽しむ1日コース/史跡と自然を楽しむ半日コース/のんびりと名刹の四季を訪ねるコース」が各5つ、合計15コース経路が紹介されている。

*1:ルビ「しおなめ」。

*2:ルビ「ほほやけあみだ」。