瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

明治期の学校の怪談(5)

 5月18日付(4)から随分経ってしまった。
 その後、佐々木喜善の記録したザシキワラシの話について補足し、明治期に記録された他の例に及ぶつもりだったが、作業が滞っているので、ここでは後年記録された、明治期のこととされる学校の怪談について、紹介することにしたい。
 日本児童文学者協会編『ほんとうにあったおばけの話』は「小学校中級から」を対象としたA5判上製本のシリーズ(偕成社)で、巻末の広告に「全国の児童文学作家の方々から公募した怪談を全5巻に集大成!! 」とある*1

 私は『むかえにきた死人たち(ほんとうにあったおばけの話④)』(1990年7月初版第1刷発行・定価1000円・156頁)を見ただけだが、各話末尾の( )内に次のような注記があって、「ほんとうにあった」ことが強調されている。人に取材した話には実名が記されているが、ここでは伏字にして置いた。それから話のあった時期について、本文中に記載があれば( )の次に書き添えて置いた(ルビは省略)。
松岡芳子「むかえにきた死人たち」(8〜14頁)
  ……(わたしの直接体験を、わが子の目をとおして書きました)昭和五十四年九月十八日
東條泰子「なっちゃん人形の髪」(15〜21頁)……(姉の体験談です)
武田てる子「まもられた約束」(22〜29頁)
  ……(埼玉県加須市在住の××××さんの話です)昭和二十年三月十日
やまもとさとこ(山本聡子)「やっぱりミオさんはやってきた」(30〜41頁)
  ……(大阪府の中学校につたわる話です)
橋村あさこ「ノックをしたのは、だれ?」(42〜52頁)……(友人からの聞き書きです)
柿沼縁「かべのむこうがわで」(53〜64頁)……(友人の体験談です)
石井和代「たちきれぬ母の執念」(65〜75頁)……(わたしの直接体験です)小学校の二年生のとき
田代美津子「ゆうれいライダー」(76〜85頁)
  ……(知人の■■■■さんからの聞き書きです)数年まえ
木村研「あかずのふみきり」(86〜96頁)……(隣家の少年から聞いた話です)
寺沢正美「骨しゃぶり」(97〜116頁)
  ……(愛知県岡崎師範学校《現愛知教育大学》の寄宿舎の語りつたえです)明治のおわりごろ
吉岡久男「ゆうれいがとどけた手紙」(117〜126頁)
  ……(戦友会での聞き書きです)五十年ほどまえ
堀尾幸平「赤ぬりのげた」(127〜136頁)……(わたしの直接体験です)昭和二十年一月
井上二美「雪のなかにねむる棺」(137〜151頁)……(父親からの聞き書きです)昭和十一年ごろ
 寺沢氏の文が「明治期の学校の怪談」なのだが、156頁の「著者略歴(掲載順)」には、次のように紹介されている。

寺沢 正美(てらさわ まさみ)愛知県安城市在住。日本児童文学者協会会員。中部児童文学会会人。『安城が原の水音』『天竜の山に消えた少年』


 ここではまず、このシリーズの編集委員の1人、柚木象吉の「ご両親や先生がたへ(解説)」(152〜155頁)から、該当部分(154頁16行め〜155頁3行め)を引いて置こう。

『骨しゃぶり』は、この巻、唯一の明治末の怪談です。師範学校寄宿舎が舞台ですが、寄/宿舎という特殊な場所を舞台にしたおなじ型の学校怪談は、各地に残っています。寄宿舎/生徒のだれそれが、夜な夜な部屋をぬけだして墓地へいって、死体の骨をしゃぶる。ここ/ではじつは山うばの仕業とされていますが、当時、死病とされた肺結核の学生が病気を治/すために骨をしゃぶる、というのが多いようです。*2


 次に、冒頭部(97頁)を引用して置く。

 わたしの卒業しましたO市の師範学校は、ざんねんなことに、昭和十九年七月二十日の大空しゅうで、あとかたもなくやけてしまいましたが、その師範学校の寄宿舎に、こんなお話がかたりつたえられていました。
 
 それは、明治のおわりごろのことでした。……*3

 類話は『現代民話考[第二期]II 学校〈笑いと怪談/子供たちの銃後・学童疎開・学徒動員〉』(1987年6月9日第1刷発行・立風書房・定価2,000円・407頁)の「笑いと怪談/第一章 怪 談」の37〜52頁「二、寄宿舎の怪」に、37〜42頁「一 おまえ見たな」として、青森県青森師範学校秋田県横手高校・山形県山形師範学校福島県立医科大学福井県福井師範学校(2話)・福井県(小学校)・岐阜県(旧制中学)・場所不明、の9話が紹介され、また文中に「新潟大でも聞いた」との言及がある。柚木氏が結核になった生徒が骨をしゃぶっていた話が「多い」と指摘したのは、恐らくこの本に拠るもので、9話中4話が結核(肺病)に絡んだ話となっている。但し福井県の小学校の例は、墓をあばいて骨を食う女が出た、という話で寄宿舎とは関係がなく、場所不明の話も似たような話で、寄宿舎の話ではなく宿直の先生の体験で、「見たな」の件はあるが異常行動を示すのは生徒など学校関係者ではなくて「お婆さん」である。私も類話を人から3話聞いているが、うち2話は学校の話ではなかったから、学校という限定をしなければもっと類話はあるものと思われる。しかし明治期にまで遡る例は(時期がはっきりしない話が多いが、学校には)ない。ちなみに改版である『現代民話考[7] 学校・笑いと怪談・学童疎開』(二〇〇三年十月八日第一刷発行・筑摩書房・定価1400円・475頁)の「第一章 笑いと怪談/怪談/二 寄宿舎の怪」の46〜52頁「おまえ見たな」では、岡山県岡山市の岡山第一中学校の、戦前の結核絡みの話(51頁)が追加されている。
 さて、この「骨しゃぶり」であるが、Wikipedia「師範学校」の項を見ると「愛知県第二師範学校(1899 - 1923)→愛知県岡崎師範学校(1923 - 1943)」とあって、愛知県第二師範学校時代の話ということになる。ちなみに「岡崎空襲」昭和19年(1944)ではなく昭和20年(1945)で、当時の校名は愛知第二師範学校(1943〜1949)であった。学校の所在地は岡崎市六供町八貫で、現在は附属小学校(現、愛知教育大学附属岡崎小学校)が残るだけとなっている。104頁5行め「甲山*4とよばれる六、七十メートルの山」は、岡崎市立甲山中学校のある辺りだろう。問題の生徒の出身地である愛知県の「O市からはうんとはなれた山おくの村」(97頁)の「ちかくにある明神岳*5」(116頁)という山が地図では分からないのだが、ネット上では北設楽郡東栄町新城市の境界にある明神山(1016m)を明神岳と呼んでいる例がヒットした。地理的な条件には合致する。「「山うばがいる。」/そう村人からおそれられていた」(116頁)かどうかは、未確認だが。
 この話には、たいていの類話に付き物の、問題の生徒が「見たな」と言って(話し手が聞き手を)おどかすシーンがない。その後、実は異常行動をする以前に妖怪(山姥)と入れ替わっていた、という事実が判明する、というオチは昔話「鍛冶屋の婆」と同じ型*6でこれも他の類話にはなく、或いはこの話のみが、古い型を保存しているのかも知れない。すなわち、その後「見たな」というオチの発明により*7忘れ去られてしまった古態なのかも……との妄想を掻き立てられる。しかしながら、児童向けの再話だからかなり潤色がなされており、どこまでが原話に存したのか、少々不安が残る。出来れば、再話する前の形でも記録を残して置いて欲しいものである、もうあるのかも知れないが。

*1:2015年7月26日追記】投稿時に表示出来なかった書影を補った。

*2:ルビ「ほね・かん・ゆいいつ・めいじすえ・かいだん・しはんがつこうきしゆくしや・ぶたい・き/しゆくしや・とくしゆ・ばしよ・ぶたい・かた・かいだん・かくち・のこ・きしゆくしや/せいと・よ・へや・ぼち・したい・ほね/しわざ・とうじ・しびよう・はいけつかく・びようき・なお/ほね」。また「うば」に傍点(ヽヽ)あり。

*3:ルビ「そつぎよう・オーし・しはん・しようわ・はつか・だいくう・しはん・きしゆくしや・はなし/めいじ」。また最初の「師範学校」の次に( )で括った割注「小学校の先生に/なるための学校」がある。

*4:ルビ「かぶとやま」。

*5:ルビ「みようじんだけ」。

*6:但し「鍛冶屋の婆」のような妖怪退治の件はなく、妖怪は行方不明になり、その後、入れ替わっていた人間の死体が発見される。

*7:【追記】「発明」というより「結合」というべきであった。