瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

美内すずえ『ガラスの仮面』(2)

 という訳で(どういう訳なんだか)私は『ガラスの仮面』は良く知らない。だから論評のようなことは、しない。
 ただ、登場人物の言動に突っ込みは入れている。例えば、文庫版第2巻136〜138頁で“紫のバラのひと”速水真澄が月影先生を苛めるシーン。「 」( )は台詞・心内語(吹き出し)で原本では活字(明朝体・丸ゴシック体)で区別。/は同じコマの別の吹き出しはコマ移り。136・138頁は一部省略。

真澄:「あの劇評を書いたのはプロの劇評家達ですよ/ぼくじゃない」
月影:「あなたがお金で書かせたのよ!」(136頁)
真澄:はっはっはっは
真澄:「専門家達の意見は貴重ですよ/世間の人々は彼らの意見に左右されますからね/これで劇団つきかげの世間の評価は決まったようなものだ」
真澄:「以前に忠告申しあげたはずだ/大都芸能にさからうとどんなことになってもしらないと」
真澄:ははは「まあこのあいだの舞台はいいヒマつぶしになりましたよ」
真澄:はっ(137頁)
ト、視線の先に軽く握った右手を口に当てて青ざめて震える北島マヤ
青ざめ冷や汗をかいて絶句する速水真澄
真澄:(聞かれたくなかった! こんな会話を……!/この少女にだけは…… 聞かれたくなかった…!)(138頁)

……ってなんだよお前
 聞かれなくてもやってること同じだろうが。と突っ込みながら読んでいる*1。専門家の件は『君は隅田川に消えたのか』269頁にも似たような意見が(あんまり似てないか)述べられていた。確かに専門家の意見なんてものは、あんまり当てにならない。なんでこんな見解が支持されるんだか、というようなケースは、文系の研究(理系は分からん)でも少なくない。その本なり論文の中で、なんとなく辻褄が合っていれば、重大な視点の欠落があったとしても、気付かずに評価してしまう大学の先生を少なからず目にしたものである。思い込みで押し通した(、その限りでは穴のない)見解を批判せずに(出来ずに)、更なる思い込みで――自分の知識と適当に辻褄を合わせて評価する。それはともかく。
 この文庫版が最終的なヴァージョンだと思うのだが、少々おかしなところがある。それを、指摘して置きたいのである。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

ガラスの仮面 第1巻 千の仮面を持つ少女白泉社文庫)』(一九九四年三月二十二日初版発行・二〇一一年七月十五日第四十五刷発行・定価619円・白泉社・319頁)
・161頁の1コマめ、劇団つきかげの寄宿生たちに自己紹介するシーンで、マヤは「横浜からきた北島マヤです こんど中学3年になります/よ よろしく」と挨拶しているのだが、58〜61頁、3月1日の春の創立記念日に行われる学校祭のクラス演劇についての、担任主導のHRの場面のうち61頁1コマめ、教室の入口には「1年B組」とある。189頁5コマめ、月影先生が「マヤ あなたの新しい学校への転入手続きがすみました」という台詞を受けての会話でも、寄宿生の水無月さやか(中学3年)が「……一般の生徒達より10日遅れて中学2年進級ね」と言っているから、やはり中1→中2が正しいようだ。後の巻に「13歳」という年齢もあったし。
・269頁、速水真澄が劇団つきかげを初めて訪問するシーンでの挨拶。

月影:「驚いたわ 大都芸能の真澄さん/お久しぶりね きょうはまた何のご用?」
真澄:「長いあいだのごぶたさをおわびにきました/それとお許しをいただけるならお話をすこし」


・292頁の1コマめ、『若草物語』のベス役が上手く行かず同じシーンを繰り返すマヤに対する、退屈した周囲の劇団員のぼやき。

団員A:「やれやれまたか/あの子のおかげてちっとも先へすすみややしない」
団員B:「やっぱりCクラスの子なんて無理なのよ」


 これは衍字ですね。改行位置を示すと「先へすすみや/やしない」で、1つで良い「や」が2つになってしまったので、これは古写本以来良くある間違いです。(以下続稿)

*1:第2巻の段階では、マヤの学費とか月影先生の入院費とかの“紫のバラのひと”の法外な好意はまだ示されていないので。