瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(18)

 さて、菊池氏の話には、船がどうなったかは語られているのだが、肝心の、七人坊主がその後どうなったのか、が、ない。
 これに限らず、矢口氏の紹介する「七人坊主の話」3話は、いずれも断片である。次に挙がっているもの。

②七人の坊さんが流れてきて、崖に上って、口が渇くから言うて、コミの川という所があります。/
刀のコミでとって、水を出して飲んだって。そこから上陸したわけでしょうね*1。藍ケ江のむこう/
の裏から、そこで「坊様*2」と言えば罰があたるって。
                              (上浦・大沢■平・M24生)


 「コミノ川」は10月19日付(06)で紹介した『八丈島の民話』にも出ていて、そこで「コミ」に「小柄」と注があったから良い*3が、これだけでは厳しい。「藍ヶ江のむこうの」というのも分かりにくい。地理的には藍ヶ江の先(=むこう)ではあるけれども「」ではないから、ここは「藍ヶ江の向こうの」の間違いだろう。
 しかしこれは本当に断片である。何故「坊様」と言えば罰が当たる、のかが、これでは分からない。もちろん、話の内容を相手(矢口氏)も分かっている、という前提で話しているから、このような略し方になっているのじゃないか、とは思う。そしてそれは、坊さんたちの死因について話したくない、という気持ちが大沢氏にあったからなのだろう、とも思ったりする。しかしこの聞き方と記録の仕方では、周辺のバリエーションばかりがあって、核心部分が見えて来ない。そこまで踏み込んで聞いても良かったのでは? とも思うのだが。そして「裏」に象徴されるように、文字に起こしたものの確認も、やはり必要なのではないか、と思う。(以下続稿)

*1:初出「しようね」。

*2:ルビ「ぼうさま」。

*3:10月22日付(09)で紹介した小寺氏「八丈島の話」では「小刀水」。