昨日の続きで、3日前に書いたものの後半。
* * * * * * * * * *
とにかく、常光氏の本を読むと、江戸時代の怪談や民間伝承との関連を見ようという作業こそ(民俗学者らしく)行われていますが、「学校の怪談」がどのように展開して来たのか、戦後だけでも夥しい数になるはずの雑誌類の怪談を扱った投書や特集、それから世代別の調査などで跡付けるという、現在やらなければいけないことが、疎かになっているような、そんな気がしてならないのです*1。寄宿舎を知ってる世代はいくら高齢化社会とは言え、当時の進学率の低さからしても絶滅の危機にあります。動物みたいに書いて申し訳ありません。やってるのかも知れませんが。やるとすればもうリミットが近付いているでしょう。宿直(室)の怪談なんかもそうです。私が児童生徒の頃の教員には宿直経験者もいたと思うのですが、怪談に限らず宿直の体験談を聞かされた記憶が、ありません。こういった、怪談の背景にある学校制度の変遷やその時々の流行、個々の学校の沿革など、そういったものが無視されて、話の骨子だけ抜き出して児童文学風の文飾を加え、解釈としては「境界」だとかの民俗学の常識的な理屈や「ストレス」といった分かりやすい心理的要因で割り切られて、時代や世代・地域の区別もなく話のパターンにだけ注目して一緒くたにされている。……まぁ、あんなブームになってしまった後で、細かい区別も何も、どうしようもなかったろうとは思いますが。
とにかく、この辺りのことは、別に資料を揃えて検討して見るつもりです。
尾籠な話のところから文体が変わってしまいましたが、しかし小池氏は最近は陰謀論みたいな話に嵌っているようです。
- 作者: 小池壮彦
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2008/07/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 2人 クリック: 18回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
しかし、調査がメインだった段階でも、既に少々危なっかしいところはあったのです。古い新聞や雑誌から、事件当時の報道や、怪談発生時の内容を、尾鰭の付いた現在流行している内容と比較して見せている限りでは、地道で緻密な調査だと感心するよりなく、それで2011年10月13日付(1)に「小池氏の本は実証的で、細かいところまでよく調べてあって、民俗学者流の大まかな話よりも私の性に合っているのだが、」と述べたのでしたが、その後「七人坊主」について、小池氏の調査内容を検証して見るに、わざわざ八丈島まで出掛けながら当時健在だったはずの『八丈島の民話』の編者に会おうとしていないこと*4、この編者が『流人の島』という、それなりに流布している本に異説を書いていることにも気付いていないこと*5、それから「東山」の名称の混乱*6が整理されていないこと、そのためか、小池氏が参照している『八丈島の民話』にも「七人の塚」を「東山の頂上」に建てた、とある*7のに現地踏査に際してその確認も出来ていないなど、少々不安になるような調査ぶりを、既に示していたのです。この、地名の確認を怠っているということでは、『八丈島の民話』に記述されている地名にも殆ど注意せず*8、しておればもっと現場付近を目的を持ってみっちりと歩いて回れたでしょう*9に、小池氏は事故があった林道を往復して、何だか感動的(?)な感想を抱いて、それで帰ってしまうのです。
*1:先行する松谷みよ子『現代民話考』は新聞や週刊誌などからも蒐集していますが、2011年4月9日付「今野圓輔編著『日本怪談集―幽霊篇―』(3)」で指摘したように、これは今野氏の本に倣ったものでしょう。報告者も実名で地名(学校名)も省略なしで、怪異のあった時期にも注意を払っています。ただ、2011年1月23日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(08)」で指摘したように、惜しむらくは調査時期が単行本・文庫版では分かりにくくなっています。かつ、広く浅く多く、という方針だから仕方がないのですが、やはり突っ込みが足りないように思ってしまいます。
*2:先日書いたのだがまだ上げていなかった。尤も、同じことを2011年6月15日付「蓋にくっついた話(4)」の前半に書いていた。
*3:ニコニコチャンネルの小池壮彦「怪奇探偵チャンネル」の「怪奇探偵ブロマガ」にもこの種の記事をアップしている。但しチャンネル会員専用動画は殆ど再生されていないことからして、月額525円を払ってまで読者になろうという者は、あまりいないらしい。
*4:2011年11月15日付「『八丈島誌』(1)」及び2011年10月20日付(7)参照。
*5:2011年11月23日付(22)から2011年11月29日付(26)までを参照。
*7:2011年10月18日付(5)、及び2011年11月27日付(24)・2011年11月22日付(21)参照。
*8:2011年10月19日付(6)、また2011年11月8日付(15)に引用した文献も小池氏は参照しているはずなのだが、「ハテイの川」を探索しようとした形跡がない。
*9:地名の確認は2011年11月30日付(27)から2011年12月18日付(33)にかけて、隣村の末吉地区が中心になってしまっているが、それなりに済ませて置いた。これなどは基礎の下調べで、論文にするなら書かないが、ブログならこういう作業も示して置いて良いかと思った。