尤も、従来こういったことは問題になっていないから、いや、今検索してみるに北九州市立松本清張記念館の「松本清張研究」創刊号(2000)に花田俊典「「装飾評伝」の虚実」という論文(83〜95頁)が、「立教大学日本文学」99(2007.12.25)に川勝麻里「松本清張『装飾評伝』とそのモデル―「史眼」による推理についての考察」という論文(63〜74頁)が掲載されているので、或いはこういった辺りのことにも注意しているのかどうか、今度確認してみるつもりだけれども、殆どの読者は全く気にせずに読んでいるのである。確かに、本筋にはあまり関わらない瑣事で、間違いとは言えないから、しかし綻びには違いないから、指摘して置く。――さっき『Dの複合』のAmazonレビューをチェックしてみたら、激賞する人がいる一方で、酷評する人もいて、正直ほっとした。
- 作者: 松本清張
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1973/12/25
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と書いたのが9月中旬で、その後やっぱり先行文献を確認して置こうと思い直して、花田氏と川勝氏の論文を読んだところ、それ以前に「装飾評伝」のモデルについて指摘した文献として、昭和58年(1983)9月の「国文学」に掲載された田中穣「贋作の思想」が引かれていた。ところがなかなか複写を取る機会がなく、1ヶ月ほどして漸く仕事の帰りに大学図書館に立ち寄って複写を取って、帰りの車中で読んだのだが、そのままになってしまった。
この「装飾評伝」が岸田劉生をモデルとしているらしいとは、発表当時にも言われていたらしいが、その文献は田中氏も花田氏も川勝氏も指摘していないし、今のところ私も探す余裕がない。そこで、松本氏本人の書いているところを引いて置こう。
光文社文庫の松本清張短篇全集09『誤差』307〜310頁「あとがき」の冒頭、307〜308頁。「昭和三十九年十月」付。この本の書影は9月13日付「松本清張「氷雨」(3)」に示した。
「装飾評伝」は、物故したある画家の評伝の形式を借りたが、だいたい、“偉大なる人*1/物”伝という類には私は全面的な信頼をおいていない。極端な例としては、何々氏伝とい*2/った伝記刊行会式のものがある。それほど極端でなくても、とかく書かれている人を称賛す/るために著者または編者の主観がはいって、批判が無視または忘れられている。資料も当人/にとって都合の悪いところはすてられるか、ぼかされてある。いわゆる評伝式のものの多く/は“装飾”的なものだと考えて小説にしたのがこれである。発表当時、モデルは岸田劉生*3/ではないかと言われたが、劉生がモデルでないにしても、それらしい性格は取り入れてある。/もっとも、劉生らしきもののみならずいろいろな人を入れ混ぜてあるから、モデルうんぬん/はいささか当惑する。
副次的なテーマとしては、強力な才能を持った芸術家の周囲に集まる弟子が、大成しない/という点にある。たとえば、劉生の周りに多くの若手画家が集まったが、彼らは、ある程度*4/までは行っても、決して劉生を乗り越えることはできなかった。劉生の幅の広い画業は、こ【307頁】れらの知人または弟子たちによって細分化され、受けつがれたが、結局、劉生の亜流に終わ/っている。彼らは劉生の一部分を取って自己を完成させた。
そのほか、劉生のために圧倒されて才能を涸らした人も少なくはない。いま、ジャガイモ*5/やカブなど野菜をしきりに描いている文人がいるが、あれなども劉生が日本画でさんざん手/がけたものの影響にすぎない。これはひとり画壇だけでなく、他についても似たようなこと/が言える。いわゆる大物の下に集まった芸術家で、御大以上になれた人が果たして何人あっ*6/たろうか。
この文庫はカッパノベルス版の3版の文庫化である*7。
・松本清張短編全集(カッパ・ノベルス)新書判
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このカッパ・ノベルス版では「あとがき」は304〜307頁、「カ/ブ」が304頁と305頁の切れ目。
さて、この『松本清張短編全集』の「あとがき」は、松本清張全集37『装飾評伝 短篇3』(1973年7月20日第1刷・1985年8月30日第5刷・定価1800円・文藝春秋・565頁)550〜555頁「あとがき」に増補改訂されて採り入れられている。(以下続稿)