瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張「装飾評伝」(7)

 森光子が死んだ。大学生の頃だったか、大学院の修士課程の頃、とにかく20代の頃、集金に来る新聞屋と懇意になって、洗剤は貰わなかったが舞台の券を貰ってときどき見に行った。1枚だけだったので貰えたのかも知れない。それで1度だけ森光子の舞台を見た。セーラー服の森光子を見た。服毒自殺直前の近衛文麿が出て来た場面を記憶していて、それで検索して見るに「夢の宴」という芝居だったらしい。それから、藤田まことの「その男ゾルバ」も見た。面白かった。松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」も見たけれども、これにはちょっと付いていけなかった。

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 昨日の続き。今度は『松本清張全集37』の「あとがき」の当該箇所(552頁上段2行め〜下段13行め)と比較してみる。加筆と修正箇所を太字にして示し、一致する箇所の大半は省略した。

「装飾評伝」は、いわゆる伝記物にある虚飾性を突いてみたかった。この小説では美術家にしたのだが、政治家などの伝記にはその感が深い。徳川時代の記録は、ほとんど権力側によって書かれているから、都合の悪いことはかくされている。史家は警戒しながらも、知らず知らずに一等資料ということで信用の過ちを冒しているのではなかろうか。これを書いた後に、歴史学者桑田忠親氏が同感の意を他の雑誌に発表されたのは心強かった。
 物故したある画家の評伝の形式を借りたが、だいたい、/(6行省略)/いわゆる評伝式のものの多くは“装飾的”なものだと考え/(4行省略)/ルうんぬんはいささか当惑する。
 副次的なテーマとしては、強力な才能を持った芸術家の/周囲に集まる弟子が、大成しないという点にある。たとえ【552頁上段】(5行省略)/自己を完成させた。
 そのほか、劉生のために圧倒されて才能を涸らした人も/(5行省略)/果たして何人あったろうか。*1


 加筆された部分の「他の雑誌」というのは「文藝春秋」ではない雑誌ということだが、桑田忠親(1902.11.21〜1987.5.5)のコメントというのは新潮文庫1661『黒地の絵』の平野謙「解説」に紹介されている、「東京新聞」に発表されたという桑田氏の「読後感」のことであろうか。この桑田氏の「読後感」について、平野氏はこの「解説」の半ばを費やしているのだが、「いまその切抜きがみあたらない」として「つよい印象」に基づく「大意」を紹介している。結局今まで、元の記事が紹介されたことはないらしい。松本氏のいう「雑誌」も不明である。もし見付かるようなことがあったら平野氏の記憶による記述と比較してみたい。いつになるか分からないけど。やらないかも知れない。(以下続稿)

*1:ルビ「たぐい・きしたりゆう/せい・か・おんたい」、光文社版にあったものを半分くらい残す。