瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『潜在光景』(4)

松本清張短編全集10(光文社)
カッパ・ノベルス『空白の意匠』1965年1月15日初版1刷発行・2003年4月20日3版1刷発行・定価848円・298頁

空白の意匠 ―松本清張短編全集〈10〉 (カッパ・ブックス)

空白の意匠 ―松本清張短編全集〈10〉 (カッパ・ブックス)

光文社文庫『空白の意匠』2009年6月20日初版1刷発行・定価629円・311頁 「潜在光景」は8篇収録されているうちの2篇め、本文末に初出が(「婦人公論」昭和三十六年四月号)と、小さく示される。
 さて、この「松本清張短編全集」には松本氏本人の「あとがき」がある。これは2012年11月13日付「松本清張「装飾評伝」(6)」でも触れたように、『松本清張全集』の35「短篇1」〜38「短篇4」の「あとがき」に再編の上、増補改訂して再録されている。松本氏は随筆や対談・講演などで自作について度々語っているけれども、全ての作品について語っている訳ではないと思うので、これは貴重である。
 しかしながら、「松本清張短編全集」に収録されていても、全集の「短篇1」〜「短篇4」ではなく、連作など作品集単位で全集に収録された作品についての「あとがき」は、全集には再録されていない。「潜在光景」は全集では連作『影の車』の1篇として収録されたから、全集には「あとがき」がない。・1971年4月20日第1刷・2001年11月10日第10刷・438頁*1
 そこで「潜在光景」について「松本清張短編全集」の「あとがき」を確認して置こうと思ったのである。すなわち「松本清張短編全集10」の「昭和三十九年十二月」付「あとがき」は、カッパ・ノベルス286〜289頁・光文社文庫291〜294頁。「潜在光景」に関する記述は3行、カッパ・ノベルス287頁8〜10行め、光文社文庫292頁13〜15行め、前者の行移り位置は「/」で、後者の行移り位置は「\」で示した。

「潜在光景」は、取りたてて言うことはない。ただ、これに似た家庭を過去に私が知ってい\たと/いうところからの発想である。子供というのは可愛らしいことに決まっているが、案外、\それは/不気味な存在である。*2


 ついでに「松本清張短編全集10」の収録作品を挙げて置く。それぞれカッパ・ノベルス/光文社文庫の頁数を附して置いた。最初の頁は扉で、カッパ・ノベルスは扉の裏から本文、光文社文庫は扉の裏は白紙。
 「空白の意匠」7〜73頁/5〜70頁、次が「潜在光景」75〜118頁/71〜115頁、3つめが「剥製」119〜145頁/117〜143頁、「駅路」147〜175頁/145〜174頁、「厭戦」177〜194頁/175〜193頁、「支払い過ぎた縁談」195〜214頁/195〜215頁、「愛と空白の共謀」215〜238頁/217〜241頁、「老春」239〜285頁/243〜289頁。それから「あとがき」286〜289頁/291〜294頁、最後に山前譲松本清張と権力」290〜298頁/296〜304頁。光文社文庫版「松本清張短編全集」ではさらに「私と清張」というエッセイが追加されており、本書は高任和夫「清張作品における躓きの石*3」305〜311頁。
 もう1つついでに、この「あとがき」に2012年11月2日付で見た、昭和55年(1980)10月刊『岸田劉生晩景』に収録される「筆写」*4「尊属」に触れるところがあるので、ここに抜いて置く。カッパ・ノベルス288頁14〜15行め、光文社文庫294頁2〜3行め、やはり前者の行移り位置は「/」で、後者の行移り位置は「\」で示した。

「老春」は、老人の性欲といったものを描いた。『新潮』には、これにつづいて「筆写」\「尊属」/の二編を出している。この種のものは、あとも書く気持ちはある。*5


 「老春」は末尾に小さく(「新潮」昭和三十六年十一月号)とある。「筆写」は「新潮」昭和39年(1964)3月、「尊属」は同年9月の発表、まさにこの「あとがき」を書いた時点での松本氏の関心事の1つであった訳だ。

*1:2017年9月3日追加。定価は函に記載されているので本体では不明。

*2:ルビ「せんざいこうけい」。

*3:ルビ「つまず」。

*4:2012年11月18日付「松本清張『岸田劉生晩景』(3)」及び2012年11月20日付(4)及び2012年11月21日付(5)にて設定の疑問等について述べた。

*5:ルビ「ろうしゆん」。