・「鴎外」91号(平成二十四年七月三十一日・森鴎外記念会・488頁)
ヘッダ「鴎外91号」が偶数頁の右上、2頁から入っているが、これが484頁までで、485〜488頁の「編集後記」のところの偶数頁には「鴎外90号」とある。すなわち、フォーマットを使い回して修正し忘れて、そのままになっているのである。
大冊であるのは「生誕150年記念号」だからだが、そのためかこれ以外にも不注意が目立つようである。ここでは1つだけ指摘して置く。411〜421頁に掲載される森憲二「森鴎外の結核―付弟篤次郎の剖検記録―」の418頁下段9行め〜419頁上段7行め「潤三郎の病気」の節の冒頭、10〜11行めに
潤三郎は昭和一九年に萎縮腎の高血圧による脳出血/で死亡した(享年六四歳)。……
とある。すなわち末弟の森潤三郎(1879.4.15〜1944.4.6)で64歳というのは満年齢である。ところが17〜18行め「……、兄鴎外/が大正一一年七月九日に死亡したあと、……」として小金井喜美子「弟」を引用、ついで419頁上段3〜4行め「……。当時は五五/歳で老境にさしかかる年齢で、……」と解説するのだが、大正11年(1922)7月ならばまだ満43歳である*1。