・別冊太陽 日本のこころ 193「森鴎外 近代文学界の傑人」 2012年2月17日 初版第1刷発行・平凡社・定価2300円・159頁・A4判並製本
森鴎外―近代文学界の傑人 (別冊太陽 日本のこころ 193)
- 作者: 山崎一穎
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2012/01/19
- メディア: 大型本
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通読するつもりだったのだが、戦前の初版本を返却してしまったことと、ダイヤリーからブログへの移転をしているうちに虚脱状態になってしまい、鴎外関係記事を続けられなくなってしまったので、差当り気付いた点だけ指摘して置く。
7~50頁「鴎外の生涯」の章は、山崎一穎執筆で中途に5人のコラムが挿し挟まれるが、山崎氏執筆の8~11頁「津和野での幼少期 風土と系族」の9頁大半を使って示される「森家略系図」が、まづ、変である。
すなわち、「林太郎(鴎外)」の母の「峰子(ミ子)*1」の左に「(一八六四―一九一六)」と添えてあるが、これでは息子の「林太郎(鴎外)」の左脇に「(一八六二―一九二二)」とあるのよりも若くなってしまう。この系図の左上の余白に顔写真を2つ示し、その右に横組みで1~8行め「右/鴎外の父、森静男(もり・しず|お)、‥‥」、9~16行め「左/鴎外の母、森峰子(もり・みね|こ)、1846(弘化3)年生まれ、1916|(大正5)年3月28日没。‥‥」とのキャプション*2があって「一八六四」は「1846」の誤りであることが分かる。「林太郎(鴎外)」の弟「篤次郎」の妻「久 子」の左脇に「(一八七八―?)」とあるが、今手許にないが大雅新書2『父親としての森鴎外』にも叔母久子の死去について注記があったし*3、小谷野敦のブログ「jun-jun1965の日記」の2012-11-10「三木竹二の妻」に近松秋江の短篇「再婚」のモデルとして取り上げられており、『近代文学研究叢書』によって年月を明記している。なお、結婚時期と仲人については小金井喜美子『森鴎外の系族』の「次ぎの兄」の「十」章(一一八頁12行め~一二四頁11行め・岩波文庫版132~137頁)一二三頁10~11行め、
二十七年五月二十日に長谷氏の長女久子さんと結婚なさいました。仲人は「歌舞伎新報」主/筆岡野碩氏でした。
とある。但し国立国会図書館デジタルコレクションで見るに「岡」の字は左の1画め「丨」のみ存して大部分が欠けている。――これが岩波文庫版136頁13~14行めでは、
二十七年五月二十日に長谷氏の長女久子さんと結婚なさいました。仲人は『歌舞伎新/報』主筆岡野磧氏でした。
と、「歌舞伎新報」主筆岡野碩(号は紫水)の名を誤っている*4。
それから「林太郎(鴎外)」の妹「喜美子」の左脇に「(一八七〇―一九六五)」と添えているのも、歿年月日は1月14日付「小金井喜美子『鴎外の思ひ出』(4)」等に見たように昭和31年(1956)1月26日である。何故峰子・喜美子親子の生年・歿年*5の下2桁と1桁が入れ替わってしまったのか、謎である。
『近代文学研究叢書』は以前よく参照したものだが、最近所蔵する図書館に滅多に行かなくなってしまったので見ないままであった。近いうちに関連個所を確認して置こうと思う。(以下続稿)