瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(2)

 第五話「娼婦の首」18〜19頁
『東京近郊怪奇スポット』46〜47頁〈このお店に電話して……台湾人娼婦の哀しい習慣〉を構成し直したもの。「ある喫茶店のマスター」の話は内容は同じだが、副詞や付属語に異同がある。また、初出では46頁の怪異の紹介部分はその殆ど(2行前置きがあって残り10行)がマスターの語りだったのが、本書では語りと地の文を交互に配している。ここで「台湾マフィアの銃撃戦」の巻き添えになって死んだ女性だとの説をマスターは披露するが、小池氏が調べてみるに昭和62年(1687)12月に起きたその事件での女性の死者はなく*1、改めて「台湾」「娼婦」「首」をキーワードに調べてみると、「絞殺」された東南アジア女性の事件が何件か浮かんできた。そしてその結果を持ってマスターに確認しに行くのだが、そこのところが、違っている。
 まず初出。47頁の〈怨念の系譜〉の最後、11〜15行め。

……。タイの女性のケースは新聞に被害者の顔写真が載っていたので、/これをマスターに見せてみることにした。
 マスターはちらっと見て「この写真じゃわからん」といったが、じっと見/るうちに、「似てるかもしれない」とつぶやいた。新聞記事によれば、この被/害者の女性は、台湾クラブに出入りしていたという。


 候補については8〜9行めに「新大久保のホテルで絞殺されたマレーシアの女性、高田馬場のマンションで絞殺されたタイの女性……。」とあった。この候補は本書19頁6〜7行めも同文。――このように初出では新聞を調べて、事件の記事を持って改めてマスターに取材するのだが、本書では以下のようになっている。

 後日、それぞれの事件で犠牲になった女の写真をマスターに見せた。「これだけではよくわから/んが」と自信なさそうではあったが、店によく来ていたのは、高田馬場で殺されたタイの女性に/似ているという。この人は台湾クラブに出入りしていて、身元をごまかすためか、ふだんは台湾/人と自称していた。


 初出では、写真があったのはタイ人女性のみで、しかも新聞に掲載された不鮮明な写真だ。だからマスターは「この写真じゃわからん」と言っているのだ。ところが本書では候補となる女性の写真を全て集めたらしく、しかも新聞という限定もないから印画紙にプリントした「写真」のように読める。それで「この写真じゃ」という、見せられた写真が不鮮明であることを表す言い回しを「これだけではよくわからんが」に変えたらしいのだが、設定を変えたことでマスターの台詞そのものが浮いてしまっているように感じられる。何故1人だけ新聞に写真が出ていた、という条件を外してしまったのか。
 それから、これも新たに加わった「ふだんは台湾人と自称していた」のは本当なのか。初出の時点で分かっていたのなら、別に隠す必要はなかったように思う。とにかく、初出では新聞記事しか調べていなくて、関係先への直接取材などはしていないようだが、本書では、被害女性たちの関係先、例えば「台湾クラブ」にまで出掛けて行って、写真を入手し、聞き込みも行ったかのように読める。マスターに見せたのが新聞記事の写真だとは、思えない。新聞記事には台湾クラブのことは出ていたそうだが、台湾人と自称していたことまで出ていたのだろうか。……これなどは新聞記事を探せば分かることだ。初出186頁〔参考資料〕に参照した新聞について、日付入りで列挙してあるのだから、いづれ朝日新聞」縮刷版を当たってみることにする。

「どうしてこの子のことを、いまでも客がうちに問い合わせてくるのかな」
 マスターは首をかしげる
「客待ちの時間に、いまもうちに来てるってことなんですかね……」


 そして最後の3行がこれも本書で加筆されているのであるが、なくもがな、ここには引用しなかったが前段で十分察せられる。……読み物としての「怪談」ということになると、こういう念押しをしないといけないのかも知れない。
 なお、初出の見出し「台湾人娼婦」は小池氏の見当が当たっていたとすると(確証はない訳だが)不適当、また「このお店に電話して……」というのは実際に被害者がこう言っていたとの証言がある訳ではないが、喫茶店の店内の電話で客と連絡を取り合っていたらしいのでそこを想像してのものである。今なら店の電話など使わなくても良いので、時代を感じる話である。(以下続稿)

*1:本書では19頁1行め「昭和六十二年に起きた台湾マフィアの銃撃戦」となっていて、月が示されない。