・文春文庫(2)
岸田衿子「はじめに」から、本書の由来について述べた最後の段落(8頁1〜7行め)を抜いて置きましょう。
子ども時代からの六里ヶ原のことを、めいめいが書いて以前一冊の本になったが、そ/の後、今日子の高校時代の夏休みの日記や、最近書いたものを含めて出すことになった。/私は二十代の肺疾患いらい往き来しているし、十五年位前からこの山小屋に定住してい/るので、周辺のことを書く機会が多い。エッセイ集に入っているものとはなるべく重複/しないようにした。二十代のおわりの日記(一九五八〜一九五九)は雑誌に連載したも/ので、三十年後の日記(一九八六〜一九八七)は当時珍しくつけていた日記から抜粋し/た。
「その後、今日子の‥‥」は、「その後見付かった今日子の‥‥」とでもしないと、据りが悪いようです。
すなわち、266〜267頁(頁付なし)「初出」を見るに、267頁1行めに「村の動物たち/山麓日記 『ブルーベリーを摘んだ日々』(徳間書店)一九八八年八月刊」とあって、これが「めいめいが書いて以前一冊の本になった」ものらしいのです。
岸田今日子「村の動物たち」は本書15〜137頁「Ⅰ エッセイ」の後半(82〜137頁)、前半(16〜80頁)は岸田衿子「六里ヶ原の話」で16題、「初出」266頁2〜15行めに列挙されているように、主として古いところでは昭和62年(1987)刊『草色の切符を買って』からの再録2本、平成2年(1990)の故人2人の回想、平成10年(1998)から平成11年(1999)に掛けて雑誌「本の話」に掲載された7本で、他に「「神戸新聞」年月日不明」が1本、「山麓の宿題」と「雪の原っぱからきこえる」の2つは「初出」が示されていません。これについては267頁の最後(11行め)に小さく、
※写真撮影者、初出が不明のものがあります。お心あたりの方は、小社出版局まで御連絡下さい。
というのに当たるのでしょう。
本書139〜244頁「Ⅱ 日記」は、140〜143頁「十七歳だった」という前置きをがあって、144〜183頁「夏休みの日記」、そして184〜195頁「五十年経った」が附されます。ちなみに奇数頁の上部左寄りに頁付に続いて横組みで入っている柱(ヘッダ)は143頁から183頁まで「十七歳だった」になっています。141頁は日記の表紙「夏休みの日記/高等科二年/ 岸田今日子」と、「七月十一日」「七月十五日」「七月十八日」のそれぞれ一部の写真で、本書は扉や目次、図版の頁には頁付が入っていません。
とにかく昭和22年(1947)から「五十年」というのですから、『ブルーベリーを摘んだ日々』よりも後に見付かった日記なのです。
岸田衿子「山麓日記」は196〜221頁「一九五八〜一九五九」、222〜244頁「一九八六〜一九八七」で、先に引いた267頁1行めに拠ると『ブルーベリーを摘んだ日々』に出ているようですが、昭和33年(1958)から昭和34年(1959)に掛けての日記の方は「はじめに」に「雑誌に連載したもので」とありますから『ブルーベリーを摘んだ日々』が「初出」ではないはずです。
今、調べる余裕がありませんが、ここにメモして後日、機会を待つことにします。結局調べないかも知れませんが。(以下続稿)