瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(3)

 一昨日からの続き。――ここで断って置くと、小池氏の全著作をチェックした訳でもなく、雑誌等まではとてもでないがフォロー出来ないので、飽くまでも私が見得た複数の本にある、同じ話に関する記述を比較してみる、というつもりである。
 同じ話の情報なら、他の人の本にも載っているし、ネット上にも複数ある場合もあるが、ネット上のものは出所が明示されておらず、コピペしただけのものも少なくない。その場合、原典の追究が容易でないことから、除外した。尤も、こんな理由で外していたらこのブログとて、どんなに必死こいて調べていても(そうでないことも多いが)ネット上の不確かな情報と同一視されても文句は言えないことになってしまう。だから、出来れば出典を明示するなどして信用出来そうなところは残したいのだが、それを見極める余裕がない。それは、本に書いてあることだって同じで、どこまで独自情報なのか、いや、パクリでないか、など、分からないものが少なくないのだけれども*1。それから「現場」に行くなどのオリジナルな点はあっても、私はあまり現場踏査に興味がなく、飽くまでも「話」への興味なので、それも特筆しなかった。いつごろからそういう話があったのか、に興味があるので、現状がどうなっているのか、探訪しての写真などがあれば参考になるかも知れないが、ここでは参照せず、小池氏の本の記述の検討に絞った。そこまで手を広げるとすれば、話そのものを別に取り上げて検討するようなときにする。しないかも知れないけど。他の人の本は、小池氏のネタ元になっている本は出来れば見るようにしたが、そうでないものまで数え上げて行ったら際限がないので、と言ってあんまりそのような本や雑誌を読んでないというのが第一の理由だが、やはりここでは原則として触れないことにした。
 とにかく小池氏の記述の完全比較でもなければ、その怪談の徹底的な検討でもない、ほんの基礎作業のメモのつもり。

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 第六話「トレンチの女」20〜21頁
『東京近郊怪奇スポット』52〜53頁〈夜の環状線を横切るトレンチコートの女〉を構成し直したもの。やはり証言者の台詞が若干変わっている。内容は同じ。全体的に僅かながら端折られている。
 第七話「魔のカーブ」22〜24頁
 この話については、早速さっき書いた「断り」を破ってしまうことになるのだが、別に書きかけていたものと合わせて、少し詳しく書いてみる。
 それというのも、ここではJR中央本線東中野駅附近の「魔の踏切」が取り上げられているのだが、私がかつて愛読した『現代民話考』では小池氏が指示しているのとは別の、やはり東中野駅附近の踏切が「魔の踏切」として紹介されていたからである。それが、なかなか幻想的で美しい話なのである。
 本書が「魔のカーブ」と題していることから察せられるように、本書の舞台は東中野駅東口にあった踏切で、カーブは「大久保駅東中野駅の間にあるカーブ」である。一方『現代民話考』に載る話は2つ、1話は東中野駅の西約500mにあった踏切のもので、この踏切のあった東中野〜中野間は直線で、中央快速線はもちろん、中央総武緩行線もこの踏切跡の辺りではかなりの速さで走っているはずである。もう1話も、同じ踏切の話と判断される。すなわち東中野駅は、東西ともに駅から1つめの踏切が「魔の踏切」と呼ばれていたことになる。ここが少々引っ掛かるところではある。
 この東中野中野駅間の踏切については、中野区議会議員市川みのる(1955.2.20生)のブログ「みのるメモ」2008年5月4日付「中央線快速と踏切」に寄せられた同日付の儘田宏のコメントに「魔の踏切」と呼ばれていたことと、どうして事故が多かったかが、儘田氏自身の中学への通学で3年間この踏切を通行しての「50年前」の体験を許に、簡潔に説明されている。心霊絡みの説明ではない*2。そもそも市川氏にそんなつもりがないのだから。もちろん私も儘田氏の説明で満足しているのだが、その上で、奇怪な説明が行われているところに、興味を覚えるのである。
 ――当初、これらの材料を基に別の記事として立てるつもりだったのだが、小池氏はこの話題を本書「FINAL EDITION」で打ち止めとせずに、雑誌「幽」で創刊号から連載中の「日本の幽霊事件」の、昨年12月発売の最新号Vol.18で「日本の幽霊事件[18] 白い女 東京・東中野〜中野一丁目」として取り上げていることに気付いた。「白い女」は本書で取り上げている東中野駅の東口にあった踏切にまつわる怪異だが、それなら「東京・東中野」だけで良いので、加えて「中野一丁目」とあるのが『現代民話考』や儘田氏のいう「魔の踏切」なのである。小池氏はここに来て初めて駅の東西の「魔の踏切」を、合わせて纏めたことになる。
 小池氏がこの「魔のカーブ」と「魔の踏切」について初めて触れたのは、たぶん『東京近郊怪奇スポット』54〜55頁〈今はなき魔の踏切を中央線が思い出す時〉で、見出しの下に「中野区東中野・中央線魔のカーブ 〔名所〕」とあるが、その現場はせいぜい「環状6号線上」までで、西にあった踏切には触れていない。しかし186頁〔参考資料〕には松谷みよ子『現代民話考3』が挙がっている。2012年4月21日付「終電車の幽霊(2)」で見たように、昭和60年(1985)に単行本が出ていて、その後、ちくま文庫に収録されたのだが、この踏切の話は第三章「自動車、列車などの笑いと怪談」の、単行本では「一、幽霊」、但し今手許に単行本がないので文庫版で見ると「一 幽霊」の313〜321頁「踏切の怪など(事故多発の場所)」の313〜314、317頁に載っている。で、単行本にも同文で出ていたと思う*3。――従って、小池氏が西にあった踏切の話を知らなかったはずはないだろう。知っていて敢えて触れなかったのを、満を持して(?)どんな風に料理したのか、甚だ興味の惹かれるところだけれども、「幽」は図書館には殆ど所蔵がなく本屋でも見たことがないので、未見である。この新稿で、初出と本書を比較して少し不思議に感じるような点は既に明確にされているのかも知れないが、差し当たり新稿を見ないうちに、若干の調べを添えたものを上げて置くことにする。(以下続稿)

*1:直接取材した本をそのまま引用して、自分が直接取材したかのような書き方をしている本がある。こういうのをパクリというので、自分で取材していないのなら、そのように書き換えないといけない。

*2:2019年10月18日追記】この踏切での自殺(事故?)の実例として、「自殺データベース (6) 昭和30年代の自殺 (1955-1964)」1956年1月15日条「洋画家、吉岡憲が国鉄中野駅近く高根踏切(高根歩道橋の西側)にて下り三鷹行き最終電車に飛び込み自殺。」を挙げて置く。吉岡憲(1915.3.25~1956.1.15)については、この踏切について続稿を投ずる際に報告したい。

*3:3月4日追記】単行本を見た。273〜274、277頁に出ている。異同は単行本277頁3行めにあるルビ「なかの」が文庫版317頁3行めにはないのみで、同文。