瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

池内紀『昭和の青春 播磨を想う』(1)

 昨日取り上げた歿後刊行の1冊を見て置こう。先日、コロナとは関係なく昨年来休館していた隣の市の図書館が再開していたので久し振りに出掛けて、たまたま書棚に見掛けて借りて帰って来た。
 本書の由来は192~194頁「あとがき」に説明されている。筆者の中元孝迪(1940.7.5生)は、194頁7行め「兵庫県立大学特任教授・バンカル編集長」である。
 192頁2~4行め、

 「BanCul」と書いて「バンカル」。バンシュウ(播州)カルチャーの略。「播磨が見える」/とのキャッチコピーをつけ、姫路市文化国際交流財団が発行する地域季刊誌だ。一九九一年の/創刊で、公的雑誌として異例の長寿を誇っている。


 中元氏は創刊以来の編集長で、当時はまだ神戸新聞社在職中だった。5~6行め「‥‥、創刊に備え、高校同期のよしみもあって、池/内君(と呼ばせていただく)を東大の研究室に訪ねた。‥‥」そこで助言を得るとともに連載を依頼、9行め~193頁1行め、

‥‥。快諾を得て始/まったのが、創刊号から続いた「播磨ものがたり」と題する連載。ふらっと訪れた播磨のマチで、/創作と実話を織り込んだ興味津々の物語が展開する。池内君初の里帰り作品として話題を呼ん/【192】だ。


「BanCul」の創刊号は1991年秋号(No.1)で、この連載は本書に収録されている「昭和の青春」の連載が始まった頃に、単行本に纏められている。

 未見。「昭和の青春」については、2~7行め、

 そのあとの連載が、今回一冊にまとめた「昭和の青春」シリーズである。播磨各地を舞台に、/今度は実話をベースに、巧みなストーリー構成で読ませてくれた。産業、風俗、お祭り、マチ、人物、/時代の変遷…播磨の昭和が手に取るようにわかる。身近な人物が、身近な舞台で、喜び、怒り、/哀しみ、楽しんでいる。読めば誰もが、すぐに主人公や周辺風景の中に溶け込み、自分の足跡/をしっかりと確かめられる。一連の「播磨モノ」は、短編小説の名手としての新たな池内像を/浮かび上がらせた。

とある。収録されている分で全てだとすると「昭和の青春」は全14回、1997年春号(No.23)から2000年秋号(No.37)まで、途中1999年冬号(No.30)のみ休載しているようだ。連載終了後すぐに書籍化されなかったのは、分量が少なかったためだろうか。
 併載の「播磨を想う」は、別にそういう題で連載したのではなく、9行めにあるように「今回収録した不定期のエッセー」であって、中元氏がこう命名して「昭和の青春」以後の寄稿の中から4篇を選んで収録したもののようである。すなわち、190~191頁「初出一覧」に示されている通り全て初出誌は「BanCul」で、その末尾、191頁左下(11~12行め)の註記にも、

本書は、姫路市文化国際交流財団発行『BanCul』に掲載された作品/を単行本化したもので、内容については原則、掲載当時のままとした。

とある。
 次回、細目を確認したいと思う。(以下続稿)