瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鉄道人身事故の怪異(8)

 昨日の続き。
 ここまで小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』64〜65頁について確認して見ました。この時点では轢断後も生存していた「事実」談として「野方の踏切」事故を位置付けようとしていたのでしたが、14年後の『日本の幽霊事件』では、そのようなことはありません。5月3日付(5)に引用した続きを見て置きましょう。144頁9〜14行め、

              *
 追ってくる上半身の話が、鉄道での人身事故に端を発した怪談ではないかと思うのは、/私が知るかぎり西武新宿線の踏切だけではなく、JRの中央線や、常磐線の沿線でも、似/たような出来事があったからである。中央線での飛び込み自殺が多いことはよく知られて/いるが、かつては常磐線の方が有名だった。いまでも自殺は多いようで、先日も常磐線に/通じる地下鉄に乗っていたら、人身事故の影響で云々というアナウンスを聞いた。


 すなわち14年前には「野方の踏切」を知るのみだったので、この手の怪談の根源に「野方の踏切」を位置付けようとしていたのが、その後、「野方の踏切」事故がいつのことなのか突き止められなかったこと*1と、他の路線にも同類の話のあることを知って、改めている訳です*2
 この鉄道人身事故での話が、「女の上半身がずるずる這い回る話」或いは「追ってくる上半身の話」に展開したという流れは、既に『東京近郊怪奇スポット』からして同じ見解だった訳なのですが、これについては松山ひろし『カシマさんを追う』の、「第四章「四肢欠損の呪い」考」の4月23日付(3)に引いた記事の次の節、77頁3行め〜80頁13行め「切断のイメージ」に持ち出されるテケテケとの関係が気になります。ここでテケテケまで手を拡げてしまうと収拾が付かなくなりますので、今は松山氏が83頁7行め「テケテケの話は80年頃、沖縄で生まれたものと思われる」としているのを挙げて、戦後、南大東島の砂糖運搬専用軌道を除いて沖縄には鉄道はなかった訳だから、鉄道人身事故からこの手の話へ筋を引くのも、そう単純ではないのではないか、という疑問を表明するに止めて置きます。
 それはともかくとして、小池氏は「中央線」にあったという「似たような出来事」については何ら説明をしておりません。そして「常磐線」の「似たような出来事」というのが、標題に附されている「中川鉄橋」の一件なのですけれども、その「似たような」按配というのが、少々微妙な感じなのです。確かに5月2日付(4)に引いた稲川氏の「生首」を介在させれば筋が引けるような気も、するのですけれども。(以下続稿)

*1:もちろん「野方の踏切」でこんなことが本当にあったのかどうか、という問題も時期が特定されない限り、残ります。

*2:2015年8月11日追記】この段落、小池氏が「‥‥、似たような出来事があったからである。」と書いているのに釣られてこのように書いてしまったのだが、ここは「‥‥、似たような話があることを知ったからである。」くらいでないと可笑しい。その辺りにもう少し突っ込みを入れつつ書き換えるべきなのだけれども、注記して本文はしばらくこのままにして置く。