岡本綺堂「木曾の旅人」は「蓮華温泉の怪話」と関連があるのではあるまいか。
このような見解は、2011年1月8日付(04)で見た『異妖の怪談集(岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二)』(1999年7月2日第1刷・定価1600円・原書房・249頁)243〜249頁、加門七海「解説」で唱え始められたもの、ということになっている。
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尤も、こんなことには引っ掛からない人の方が多いのだろうと思う。
これは、まぁ、職業病のようなものである。加門氏は別に研究者ではないので、思い付きをそのまま書いても構わないのだけれども、……研究者でもしばしばこのような論証をあっさりすっ飛ばして、本来結び付けるべきでない、結び付けるにはもっと傍証を固めないといけないところを、軽快に飛び越えてしれっと済ませてしまう手合いがいて、手続きには問題があるのに、そうした論文が、言っていることが格好良いためか、何故か高評価を得ていたりする。いや、こういうことをするのに生き残っている人には、読者(論文の場合は学界)が何を求めているのか嗅ぎ付ける才能はあって、そこのところ(だけ)は押さえているから、私のような鈍感な、ただ疑問を見付けて調べるしか能のないような人間にはどこが良いのか分からない、問題の解決どころか新たな奇妙な疑問を生じさせるような代物が、そんな評価を得てしまうことになるのだということに、私も漸く気が付いた。それにしても、今頃気付いているようでは遅い。大学への就職をあっさり諦めて置いて良かった。尤も、そのために研究をやっていた頃の人たちとほぼ絶縁する必要があったのだけれども*2。
また話が大きく逸れたが戻して、――こういう状態が、私には何とも気持ち悪い。先行文献は遺漏なく確認するよう教わったし、大学院に入る前からもそのような按配でやってきた。だから、生理的に、居たたまれない。それで、とにかく知っていることや、従来詰められていない諸問題、例えば2011年1月4日付(03)に引いた『岡本綺堂読物選集』④異妖編 上巻(昭和44年5月20日発行・定価八五〇円・青蛙房・456頁)の岡本経一「あとがき」の記述について、確認して行こうと思ったのである。この岡本氏の記述については、6月28日付(17)に修正し得る点を纏めて置いた。
いや、研究者であれば素人の少々不注意な発言などははなから無視して、学界内での発言にのみ反応すべきなのだ。私はどうも、そこに線を引くことが出来ないので、やはりそういう点でも学界向きではなかったのである。しかしながら、継続は力なり、ようやくこの点が解決しそうである。すなわち、加門氏以前に両者の関係を指摘している文献を見付けたので、つまり絶対的な資料が出てきたので、相対的に、周辺資料の積み重ねから加門氏の指摘の意義を正しく査定して行く、という作業からは、解放されることになった次第である。(以下続稿)
*1:引用したうちの後半は合っているのだけれども、前半のように書いて、どうもその前提で話を続けているところが、気になるのである。
*2:【2018年3月5日追記】この書き方では「そのために」が「大学へ就職するために」のようにも読めるが、「大学(研究職)に就職する可能性を消すために」当然、研究職を目指しているだろうと云う前提で私と接してくる、現在研究職に在る「人たちとほぼ絶縁する必要がったの」である。博士号取得直後は女子高講師をやりながら細々と研究も続けて行こうとの考えもないではなかったが、こういった思惑の齟齬がどうにも窮屈で堪らないので、2、3所属していた学会・研究会からも退会して、ほぼ足を洗ったのである。