瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(18)

 昨日の続き。
・中公文庫(2) 
 ところで、『近代異妖篇』の他に「附録」として2篇が収録されるが、うち1つめ、253〜259頁「雨夜の怪談」は7話の怪異談を紹介するが、その「五」が木曾のえてものの話である。「木曾の怪物」と「木曾の旅人」の導入部と、3つを並べて比較して見るべきか。
 さて、問題の指摘、千葉氏の「解題」の「木曾の旅人」に関する部分を引いてみる。280頁1行め〜281頁5行め、

……。これは、はじめ一九一三年(大正二)五月二十四日/から六月二十七日まで「やまと新聞」に連載された「五人の話」のうちの第四話「炭焼の/話」として書かれたもので、そこでは修善寺温泉で隣座敷に泊まり合わせた客から聞いた/話として、伊豆の天城の山奥の炭焼きの話とされた。その後、作品の舞台が伊豆から木/曾に移され大幅に改稿されて、一九二一年(大正十)三月に隆文館から刊行された短篇/集『子供役者の死』に「木曾の旅人」と改題されて収録されたけれど、それがさらにこの/『近代異妖篇』にも編入されたものである。
 初出の「炭焼の話」と現行の「木曾の旅人」では、結末が大きく変わっている。登場人/物の名前もすべて変更されているが、大きな犬をつれた友人の猟師がやってきて、その犬/が旅人へ向かって唸り声をあげ、それがあまりに騒がしいので、早々に帰ってゆくという/ところまでは、基本的に同じである。だが、そのあと泊めてくれという旅人に対して「木/曾の旅人」では断るけれど、「炭焼の話」では承知して一泊させると、その翌朝に旅人は/炭焼きの炭を焼いている窯へ、みずから首を突っこんで半身が真っ黒に焦げていたという/かたちで閉じられる。
「炭焼の話」はたんたんと出来事のみを語りだすというきわめてシンプルな構成がとられ/ており、その結末の意外性には驚かされるけれど、その素朴な味わいもなかなか捨てがた/い。作品としてどちらがすぐれているか、判断するのはちょっと難しいところだ。なお綺【280】堂にはこのほかに「木曾の旅人」にも言及されている木曾山中に棲息するというえてもの*1/の伝説に取材した長篇「飛騨の怪談」――これは東雅夫によって翻刻されて、二〇〇八年/に「幽BOOKS」として刊行された――という作品もあるが、これは「木曾の旅人」と/はまったく別な作品である。「炭焼の話」と「木曾の旅人」も、それぞれ別作品と見なし/ても差し支えないのかも知れない。


 「飛騨の怪談」は、古来の伝説に取材というようなものではないと思うのだが、それはそうと、是非とも丁度100年めの区切りに「五人の話」を残りの4人ともども翻刻紹介してもらいたいと思うのである。それから以前にも書いたが「木曾の旅人」も『近代異妖篇』から切り離して単独で扱う場合、一度くらいは『子供役者の死』に掲載の形で収録して欲しい。
 さて、この「炭焼の話」の、千葉氏も「意外性」を指摘する「結末」が、自らの頭を火に突っ込んでの死なのである。このような自殺が当時も実際にあったものか、そうした実例は漁っていないけれども、とにかく死霊に取り憑かれた男の最期として、この自殺が選択されているのだ。或いは、綺堂が思い付いた話ではなくて、実際に行われていた話をそのまま書いたものなのか。だとすると「蓮華温泉の怪話」とは大きく異なることになり、やや有力視せられている「蓮華温泉の怪話」の原話にヒントを得たという可能性は、消えることになる訳だ。(以下続稿)

*1:「えてもの」に傍点。