瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中田薫『廃墟探訪』(5)

 7月17日付(3)の続きで、「現代怪奇解体新書」の91頁から92頁中段11行めまでが『廃墟探訪』のどこに対応するのかを確認して置く。
 91頁上段、まず1字下げでゴシック体8行のリード文がある。

廃墟――その陰鬱な光景は、等しく我々/を悲痛な気持ちにさせ、甘美でなお、セ/ンチな気分に誘ってくれる。建物のそこ/かしこに、かつて暮らした家人たちの私/念が宿り、見る者の琴線に触れるからで/ある。だが、そんな廃墟には、前史の傷/みには触れず、そっとしておいたほうが/いい物件も確かにあるのだ……。


 これは廃墟全体に対するもので、単行本の一部に過ぎないRUIN FILE No.33のリード文に流用されているのは最後の一文のみ。
 1行分空白があって明朝体の本文になるが、「現代怪奇解体新書」91頁上段9行めから中段9行めまでの22行が、『廃墟探訪』6〜7頁「まえがきにかえて――妖しの廃墟を訪ねて」の6頁(15行)に当たる。冒頭の一段が「廃墟を見続けて3年になる。」が「廃墟を見つづけて何年になるだろうか。」となっていること、また、きっかけについて「雑誌『GON!』(ミリオン出版)の特命」とだけであったのが、当時の編集長の名前を出し、その「無茶な企画」の名称も示している。他の部分はほぼ同文。そして『廃墟探訪』6頁の右下に、この文中に触れられている廃墟の写真「樹海の隣にポツンと佇むドライブインの廃墟。すべては、この物件に/足を踏み入れたことから始まった。記念すべき第一号廃墟である。」とのキャプションがある。この物件は『廃墟探訪』に収録されていない。
 「現代怪奇解体新書」91頁中段20行め〜下段13行めの16行は『廃墟探訪』7頁1〜9行めにほぼ同じ、やはり若干の字句の書換えがある。
 『廃墟探訪』は1行分空白があって、10〜17行めがまとめ。うち10〜13行めは「現代怪奇解体新書」91頁中段10〜19行めに当たる。うち10〜12行めを見てみよう。

 以来、3年。この間に筆者が訪れた廃墟/は、掲載に至らぬボツ物件も含めれば、す/でに100件を超えたであろうか。北は‥/‥


 これが『廃墟探訪』7頁10行めでは「 こうして数年――。この間に筆者が訪れた廃墟は、一〇〇件を超えた。北は/‥‥」となっている。そして自分の足跡が「青森」から「沖縄」まで「全国津々浦々」に及ぶことを云い、さらに「現代怪奇解体新書」は5つの例を挙げるが、『廃墟探訪』は3つに減らしている。すなわち、最初の2つは一致、3つめは7頁13行め「幾多の人の臨終をみとったサナトリウム廃墟などなど。」となっているが、「現代怪奇解体新書」は91頁中段16〜19行め「幾多の人が/死んだサナトリウム廃墟、過激派のアジト/になっていたホテル廃墟、火事になったガ/ソリンスタンド廃墟……などなど。」となっていた。
 してみると、既に「現代怪奇解体新書」の段階でほぼ中田氏のスタンスは固まっており、単行本刊行に当たって新たに書き下ろされた部分というのは、『廃墟探訪』7頁14〜17行めのみである。

 この一冊には、筆者がこれまで探訪してきた廃墟の中でも、とくに思い出深/く、味わい深い物件を選りすぐって掲載した。廃墟巡りの楽しさ、廃墟の美し/さ、廃墟の恐ろしさなど、廃墟のさまざまな魅力をこの本を通じて体験してい/ただければ幸いである。


 ここまでの本文は楷書体、そして18行めは一回り大きな明朝体、下寄せで「――2002年10月 中田薫」とある。(以下続稿)