瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中田薫『廃墟探訪』(3)

 問題の廃墟(RUIN FILE No.33)に実際に行ったことのある人、というか6月27日付「別冊宝島415「現代怪奇解体新書」(1)」に参照した「設定チキン」の「探検の記録」に登場する方からコメントを頂戴しました。
 コメント欄でのやりとりはしない方針(2011年2月13日付「コメント欄について」など)ですので、特に返信はしません。
 6月27日付に書いたように、私は廃墟には興味がない、というか、入ってはいけないところだ、と思っているので、肝試しとか探検とかいった遊びは専ら野山や夜の山道でやっていて、廃墟には立ち入ったことがない(と思う)のです。それは別に、遵法意識が高かったからとかいう訳ではなく(低くはなかったが)、私の中学時代は授業をさぼってトイレで喫煙しているリーゼントの不良のいる頃で、中学では番長と同級だったので中学の不良が怖いとは思いませんでしたが、高校生かそれ以上のそういう人たちもいた訳で、やはり、廃墟廃屋は不良の溜り場という、現実的な(?)恐怖があったからでしょうか。まぁ野山を探検していても、ちょっとした広場のようなところに変な雑誌が散らばっていたりしたもので、――あっ、ここは来てはいけないところだったのだと、察したりもしたものでしたが。

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 そんな訳で、検証といっても初出との比較をするくらいのことで、「演出」だとして中田氏がどうしてこんなことを思い付いたのか、この廃墟の所有者はこの「演出」をどう思っているのか、などと云ったところまで切り込む材料はありません*1。ただ、初出と再録を比較して初めて浮かび上がる、どちらか一方だけを読んだときには気付得ない奇妙な記述、そこにいろいろな作為(虚偽)の指摘が出来、ひいては何故そんなことをしたのか、考える切り口にもなる訳です。それを従来通り一応やって見て、……尤も、比較したところで何に疑問点も出て来なかったり、あっても意図せざる=単なる勘違いということも少ないない訳ですが。

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 ここらで、別冊宝島415「現代怪奇解体新書」との比較を済ませて置きたい。
 「現代怪奇解体新書」は90頁は1階の、天井が破損し畳の上に物の散乱する一間の写真を背景に、右上に「怪奇調査ファイル⑥/廃墟探訪記【怨念編】/日本中の廃墟を巡った/男が出会った恐怖」と題し、左下の囲みに

 「あの家には行かないように…」
  そう言い伝えられた物件には/とんでもない事実が隠されていた

文/中田薫(ライター)+撮影/関根虎洸

とある。91頁から3段組の本文、1段22行、1行19字。
 『廃墟探訪』も3段組で1段25行、1行19字。なお、記事の冒頭が黒の正方形(0.8×0.8cm=2行×3字)に淡い鶯色の明朝体のドロップキャップになっている。2頁から4頁の記事は、見出しと記事に宛てられている1頁めの、その記事の冒頭1字めのみがドロップキャップになっているのだが、7月15日付(1)で見た4頁を超過する記事には、複数のドロップキャップが存しており、意味段落の冒頭ということになるのだが、カラー頁は淡い鶯色だが、RUIN FILE No.05とNo.06の白黒頁は灰色、RUIN FILE No.33とNo.34の白黒頁は白になっている。
 さて、「現代怪奇解体新書」と『廃墟探訪』とで1行の字数は同じなのだが、このドロップキャップに加えて、段落の分け方も違い、それから文章にも細かく手が入っており、細かい異同を数え上げていたら際限がない。そこでまず意味が違ってくるような大きな異同について、指摘して置くことにする。
 『廃墟探訪』134頁は「悪霊取り憑く悲劇の館……廃墟で出会った本物の恐怖」との大見出しに続いて「埼玉県と群馬県の県境にほど近い農村地帯に、不気味にして面妖なる廃墟がある。その作りと部屋数からして、かつては豪農の館だったと思われる物件だ。調べゆくと、この屋敷の凄惨な歴史が次第に明らかになって……。廃墟のなかには、前史の傷みに触れず、そっとしておいた方がいい物件も確かにあるのだ……。」とのリード文がある。
 では書かない方が良いのでは? となりそうなものだが、そこはまず7月16日付(2)に引用したような売込みがあって、しかも、そのライターである中田氏に売込んだ人物と廃墟との関係というのが、「現代怪奇解体新書」92頁中段18行め「現地案内をしてくれていた『GO/N!』の読者」である、下段1行め、仮名「橋田さん」の、5〜7行め「他/ならぬ彼女自身の本家であり、祖父が所有/していた物件」ということになっているのである。すなわち、一族自らの情報提供があったことで、本当は「そっとしておいた方がいい」のにほじくり返してみた、という理屈になっている訳だ。ちなみに『廃墟探訪』の該当箇所は、134頁上段15行め〜中段1行め「他なら/ぬ彼女自身の生家であり、祖父が所有して/いたという物件」となっている。同様に「現代怪奇解体新書」92頁下段14行め「自分の本家」も、『廃墟探訪』134頁中段9行め「自分の生家」となっているが、これらは、単行本収録に当たってより正確を期したもの、と理解できよう。
 それはともかくとして、『廃墟探訪』RUIN FILE No.33に該当する部分(134頁〜)は、「現代怪奇解体新書」では92頁中段12〜13行めの見出し「あの家には行かないように……」から後である。では「現代怪奇解体新書」の91頁から92頁中段11行めまでは、どこに行ったのかというと、『廃墟探訪』の、他の部分に取り込まれているのである。(以下続稿)

*1:そこは中田氏に答えてもらうのが一番早いのですけれども。