・東京伝説の会編『東京の伝説』(4)
本書の編著者「東京伝説の会」には、本書以外の著作はないようだ。すなわち、本書編集のためにだけ作られた組織のようである。
この話の執筆者の望月氏については、254頁、「一九八〇年十二月」付の東京伝説の会「あとがき」に、
さて、『東京の伝説』をまとめるにあたって、港区役所の俵元昭さん、民話の会の渡辺節子/さん、望月新三郎さん、豊島親子読書会の大松幾子さん、そのほか各地区の区役所、図書館、/教育委員会などから、いろいろとご協力をいただきました。‥‥
と見えている(10〜12行め)。日本民話の会会員で、松谷みよ子『現代民話考』でも良く目にする名前である。
255頁「『東京の伝説』編集者・協力者一覧」を見るに、「編集委員」5名(来栖良夫・小沢長治・小松崎進・中村博・横笛太郎)とは別に「執筆・編集協力」6名の1人めに大松氏、2人めに俵氏、3人めは「堀田 貴美(日本民話の会会員)」、4人めは「間仲 久子(日本児童文学者協会会員)」、5人めが望月氏で6人めが渡辺氏、すなわち50音順。他に「取材協力」として4名と「大国魂神社(府中市)」、「さし絵」5名、最後に「参考文献」が35種列挙される。
ここまで見てきたように、書きぶりからして、浅沼氏の『流人の島』や『八丈島の民話』ではなく、どうも矢口氏の「〈資料/報告〉八丈島中之郷の伝承―昔話を中心に―」に依拠しているらしい。しかしながら、「参考文献」に浅沼氏の著書が挙がっていないのはもちろんだけれども、矢口氏の報告を載せる本や雑誌も、挙がっていないのである。雑誌は採らない方針であるのならともかく、「大国魂 10〜18号(大国魂神社奉賛会・社務所)」も挙がっている。
してみると、矢口氏の報告をもとに七人坊主について記述している本が「参考文献」のうちにあるのかも知れない。『立川のむかし話』や『いたばしの昔ばなし』等、標題からして出ていないと見当を付けられるものを除外するとこの35種のうちでも候補は絞られるのだけれども、まだ確認出来ていない。確認出来た上で書くのが最良なのだけれども、その機会を待っているとまた何時になるか分からないので、差当りこの『東京の伝説』に載るものを矢口氏の報告を参照しつつ、検討して見た次第である。
いや、以上検討したように、この望月氏のまとめた七人坊主は、他の報告に比して奇妙なところが少なくない。やはり矢口氏の断片的な報告を綴り合わせているうちにこうなった、と見るべきで、望月氏以前にこのようにまとめたものが存在したのではなかろう。これに似たものを望月氏が見て子供向けに書き改めたのならば、そこは岡目八目という奴で、その時点で必ずや矛盾点や筋の運びの不自然さなどに気付いたことだろう。望月氏がこの形にした本人だからこそ、このような不注意を犯してしまったのであろう。
と、今は常識的な見当を付けるに止めて置きたい。
ちなみに252〜253頁(頁付なし)「東京の伝説/絵地図」には、253頁に白丸の丸数字44箇、すなわち本文として挿絵入りで紹介されているものと、黒丸の丸数字、こちらは囲み記事で(31)まで、但し1つに複数の土地を取り上げたところがあって、合計で81箇。図中には、淡い緑色で登場人物が14点書き込まれている。うち伊豆諸島は252頁右下にそれぞれ別枠で右から大島・新島・御蔵島・八丈島が並び、それぞれにこのカットが重ねられているが、八丈島には墨染の衣に丸坊主の7人が集まって立っている。なお、白丸の「(24)八丈島の七人の坊さま*1」として示されている。これは収録順だが本文にはこの番号は撃たれていない。しかしながら、何故か大賀郷の八丈島空港あたりに(24)が打たれている。これでは西山の山麓で、本文中にも「東山」と見えていたのとは、合わない。細かいようだけれども、私などはこういうところに藝の細かさを発揮すべきだと考えてしまうのである。中之郷の東山に位置させよとは言わない、せめて三原山の「東山」で良いから。
*1:「(24)」は丸数字。