瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(49)

・東京伝説の会編『東京の伝説』(3)
 菊池たかし「七人ぼうずのたたり」(『ほんとうにあったおばけの話⑩』所収)での坊主たちの死因は、2011年10月14日付(02)にある通りなので原文の引用はしないで置く。若干補足をして置くと、鳥を撃つとか食うとかいう話はなく、94頁2行め「村ざかいのとうげ」で、3行め「雨水と木の根や草の葉で、うえをしのごうとした*1」が、4〜5行め「ひとり、またひとり/と死んでいった*2」のだが、6行め、その「死ぬまぎわ*3」に「口ぐちに」、8〜9行め、

「この村のやつらは鬼だ。このうらみ、わすれぬぞ。子孫のはてまで、のろってや/る!」*4

という、6〜7行め「のろい/のことばを、のこした」ことになっている。昨日引いた浅沼氏の『八丈島の民話』に見える恨み言でも、島民を「鬼」呼ばわりしていたが、こちらは子々孫々呪うという具体的な宣言になっている。……誰が聞いていたんだ。
 ところで、同じ浅沼氏の著書でも『流人の島』の方は、2011年11月26日付(23)で見たように、鳥を撃つとか食うということにはなっておらず「野草」や、殺生をしてもせいぜい「アワビ」で「ほそぼそと命をつなぐ」うちに「餓死」したことになっている。村から締出された理由も不明。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 8月16日付(47)の続き。
 前置きというか、昨日の補足で長くなったが、『東京の伝説』の結末部を確認して置こう。143頁5〜6行め。

さて、それから、うっかり「坊さま」というと、牛が動かなくなったり、人がけがをしたりす/るので、東山では、いまでも、「坊さま」ということばを口にしないといいます。*5


 坊様(坊さん・坊主)というだけでもいけない、というのは、2011年11月8日付(15)に引いた矢口氏の論考、2011年11月19日付(18)で見た矢口氏の報告、早くは2011年10月22日付(09)に引いた小寺氏の「八丈島の話」に、見えていた。
 昭和27年(1952)の土砂崩れとは関連付けていない。遥か後代に7人の命を祟りで奪うなどというのは理不尽に過ぎる、との判断からであろうか。そのためか、本書では坊主たちと島民との不幸な接触はなかったことになっている。接触があったからこそ、浅沼氏も菊池氏も坊主たちの恨みを強調していたし、小寺氏に至っては怨霊が出て来て当然の殺され方をしたのだと語っていた(但し小寺氏の報告は土砂崩れの26年前)のである。しかしながら本書のみ、決して広くはない島で、島民と接触することなく、つまり山から自力で脱出できないまま死んでいるのである。
 さて、本書の記述が矢口氏の報告に由来するのは間違いないと思われる。特に、逃げた船を沈めたこと、そして「鳩」を「六羽」射落としたことが「ロッパ」と付いた地名の由来になる、という点から、他の文献に依拠した可能性は考えられない。矢口氏も土砂崩れのことは説明しているから、これを省略したのは、望月氏の判断に拠るものと、考えられよう。
 ただ、そうすんなり決めてしまう訳にもいかないのである。……他の文献にないといっても、飽くまでも現時点で私が見ているもののうちで、ということな訳だし。(以下続稿)

*1:ルビ「あまみず・ね・は」。

*2:ルビ「し」。

*3:ルビ「し」。

*4:ルビ「おに・しそん」。

*5:ルビ「ひがしやま」。