瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(3)

 本題に入りましょう*1
 10月19日付(1)及び10月20日付(2)で確認した(別冊宝島スペシャルの)節見出しから察せられるように、朝倉氏は戦前の「赤マント伝説」を「口裂け女」を上回る事件ととらえ、国民に真相の明かされなかった「二・二六事件」に対する恐怖の幻像を、その背景に設定しています。
 この朝倉氏説の土台となっているのは、朝倉氏がその京城での体験談を引用している、中村希明『怪談の心理学――学校に生まれる怖い話講談社現代新書1223)』(一九九四年一〇月二〇日第一刷発行・定価634円・219頁)での松谷みよ子『現代民話考[第二期]II 学校〈笑いと怪談/子供たちの銃後・学童疎開・学徒動員〉』(1987年6月9日第1刷発行・立風書房・定価2,000円・407頁)に収録される各地で行われていた「赤いマント」の事例の、解釈です。朝倉氏説は「しのびよる戦争の不安」が「赤マントの恐怖デマ」に反映されているとする中村氏説を踏まえた上で、さらに進めて「二・二六事件」に特化させて見せたところに、その特徴がある訳です。
 朝倉氏が「赤いマント」を「二・二六事件」に結び付けたのは、(別冊宝島スペシャルの)節見出し「口裂け女」を上回るもの」に引用する、『現代民話考』の次の例によってです。単行本では「第一章 怪談/二十、学校の妖怪や神たち/七 赤マント・青いドレスの女など」に、文庫版『現代民話考[7] 学校・笑いと怪談・学童疎開』(二〇〇三年十月八日第一刷発行・筑摩書房・定価1400円・475頁)では「第一章 笑いと怪談/怪談*2/二十 学校の妖怪や神たち/赤マント・青いドレスの女など」の本文(例話)に採用されているもので、単行本(210頁2〜7行め)の改行位置を「|」で、文庫版251〜252頁の改行位置を「\」で示しました*3

 昭和十一年、十二年頃のこと。大久保小学校に通っていた小学校三年生の時、その頃\赤マントを|着た怪人物が現れ人を襲い、あちこちに死体があって軍隊、警察がかたづけ\【文庫版251頁】たという。
 赤マントを吸血鬼だという噂で、学校ではパニックになり、誰*4も学校の便所に入れな\くなって|しまった。その頃、同じような話が方々であったが、警察はデマだといい、そ\ういうことをしゃべ|ってはいけないと言われた。
                                東京都・望月正子/文――


 本文に続いて各地の類話を列挙する「分布」のうちに、単行本210頁14行め・文庫版252頁12〜13行め、

○東京都新宿区大久保小学校。本文。\話者・北川幸比古。回答者・望月正子(静岡県在住)。*5

とあります。朝倉氏の引用では「‥‥がかたづけたという。(中略)同じような‥‥」となっていて、「赤マントを吸血鬼だという噂で、学校ではパニックになり、誰れも学校の便所に入れなくなってしまった。その頃、」の件を省略しているのですが、それはともかく、朝倉氏はこの話を、次のように解釈するのです。『ヤクザ・風俗・都市』83頁10〜17行め(改行箇所「/」)、別冊宝島スペシャル「伝染る都市伝説」239頁16行め〜240頁8行め(改行箇所「|」)、

 さて、赤マントの噂始動の年と考えられる昭和十一年。この年には二・二六の青年将校反乱|と阿部/定事件という、昭和史を彩る大きな事件が相次いで起こっている。先の『現代民話考』|からの引用/に、「あちこち死体があって軍隊、警察がかたづけた」という一節*6があったのに読|者は何ごとかを感/知されなかっただろうか。そう、私はこの「話され方」の背後には「(街の)*7|あちこちに(散らばる/かのごとき)死体、それを軍隊、警察が(何やら秘密めいた動きのうち|に)かたづけた」とでも表記/できるはずの、事態に係わる*8イメージがせり上がっており、さら|にその背後には二・二六反乱が社会/に落とした大きな影がゆらめいているのだと思うのであ|る。つまり赤マントの噂は、二・二六事件の/「不可解さ」*9の内側から直接的に立ち上がったもの|ではないかと。‥‥


 中村氏も勿論この話を引いていますが、朝倉氏が着目した「あちこちに死体」ではなく、朝倉氏が(意図的に)引用しなかった(らしい)「学校の便所」の件に着目して、「赤いマント」の出現場所が「学校のトイレ」に結び付けられた例と捉えており、朝倉氏とは解釈の違いが生じています。中村氏説の検討をも一緒にするとややこしくなってしまうので、その詳細な検討は後に回すことにして*10、ここでは朝倉氏説に影響を与えた部分に触れるに止めて置くことにします。
 それはともかくとして、中村氏も朝倉氏もこの話の内容のみを、特に朝倉氏の場合、さして長くもないのに一部を省略した上で引いて、話の出所である話者及び回答者については何ともしていませんが、回答者の望月正子も話者の北川幸比古(1930.10.10生)も、児童文学者です。
 北川氏にはこのブログでも何度か触れたことがあります。そのうち2011年9月19日付「『現代の民話・おばけシリーズ』(01)」にて、北川氏が「一九三〇年東京生まれ」であることを確認していました。だとすると、おかしいのです。――休学等の事情の存しない限り、北川氏は昭和12(1937)4月に尋常小学校入学、昭和18年(1943)3月に国民学校初等科卒業、ということになります。即ち北川氏が「小学校三年生」であったのは昭和14年度です。従って「小学校三年生」が正しいとすると、それは「昭和十一年、十二年頃」ではなく「昭和十四年、十五年頃」のはずなのです。
 勿論「小学校三年生」が間違いだとか、「話者・北川幸比古」というのは文字通り「話」をしただけで、実は別人の体験を語ったのではないか、とか、そんな可能性も考えられなくはないけれども、常識的に考えて「小学校三年生」ではなく、小学校入学前のこととなってしまう「昭和十一年」の方が怪しいと、見なさざるを得ないでしょう。
 私が怪談の記述について、それが行われた時期を欠くべからざるものと思うのは、こういうことがあるからです。いや、この場合は示されていた時期が間違っていたのですから、朝倉氏が悪い訳ではないですし、私とて北川氏ではなく無名の人物でしたら「昭和十一年、十二年頃」に「小学校三年生」というのを疑問に思うこともなく、思ったとしても検証の仕様もなかった訳です。怪しいと思いつつ放置せざるを得なかったでしょう。
 だから、敢えてここのところを強調して置きます。今後、朝倉氏と同じ轍を踏む人が現れないとも限らないので、特に強調して置きたいのです。(以下続稿)

*1:投稿当初は常体にしていたが、敬体に改めた。

*2:2014年1月9日追記】当初「第一章 怪談/」としていたのを修正。

*3:なお、この「第一章 怪談」の原型である松谷みよ子現代民話考  その五学校の怪談」(「民話の手帖」第5号36〜78頁、一九八〇年四月十日発行・定価八八〇円・民話の研究会・176頁)には、この話は見当たらない。

*4:文庫版「れ」なし。

*5:「○」は文庫版「*」、文庫版13行めは2字下げ、単行本のみルビ「しんじゆく」。

*6:朝倉氏の引用では『ヤクザ・風俗・都市』80頁12行め、別冊宝島スペシャル「伝染る都市伝説」237頁2行めともに「あちこちに」の「に」が落ちている。

*7:別冊宝島スペシャルは括弧閉じ半角

*8:別冊宝島スペシャル「関わる」。

*9:別冊宝島スペシャルは鍵括弧開き全角。

*10:2021年1月2日追記Twitterスレッド「中村希明の赤マント」として纏めてある。