瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(105)

物集高音「赤きマント」(10)
 2月1日付(101)の続き。
 白フリル(富崎ゆう)は昭和10年度の長野の例と、昭和12年(1937)の大阪の例を挙げて赤マントは加太氏説の昭和15年(1940)よりも前からあった、と主張するのです。但し三原氏の昭和12年説は計算違いである可能性が高いことは前回指摘しました。混乱があることは明白である以上、これをそのまま昭和12年(1937)の資料として使用することは出来ません。昭和14年(1939)の可能性が高いと考えています。
 三原氏が自分の小学校入学を2年も遡らせてしまった理由ですが、三原氏自身が2月2日付(102)に引用した箇所で言及していた、10月24日付(03)に引用した「昭和十一年、十二年頃」ということになっていた北川幸比古(1930.10.10生)の話に引き摺られてしまった可能性を、考えています。警察の出動があったとされる点が共通しており、三原氏はこの東京の騒ぎが波及してきたもの、と捉えていたのではないでしょうか。しかし実は北川氏は三原氏の2学年上なので「小学三年生の時」が昭和11年度の筈がないのです。けれども、このズレに気付かないまま踏襲してしまったのだ、という想像をしてみるのです。本当のところは分かりません。いえ、不可解な誤りであるという事実だけを指摘して置けば良いので、特に理由なんか考えなくても良いのでしょう。けれども私は何故こんな間違いをしてしまったのか、一応理由も考えてみたいのです。その上で、やはり編集者や共著者が注意深く読んで訂正を促しておれば、と思ってしまうのです。
 話を「赤きマント」に戻します。――不思議なのは、白フリルが『現代民話考 学校』と『魔女の伝言板』を挙げながら、『現代民話考 学校』の北川氏の話に触れていないことです。1月25日付(95)で見た白フリルの、いえ、作者の物集氏の分類では、『紙芝居昭和史』に載るのは〈通り魔〉型です。北川氏の話は、昭和15年(1940)以前の東京に〈通り魔〉型が既に存在していた、という証拠になる筈です。確かに大阪で昭和12年(1937)に「警官が出動」というのは、昭和15年(1940)に大阪の警察が押収・焼却したとする『紙芝居昭和史』の記述を疑わしめる材料にはなるでしょうけれども。
 尤も、『紙芝居昭和史』の記述を否定であれば、2013年10月25日付(04)で見たように、既に平成8年(1996)7月刊の別冊宝島二六八号[怖い話の本]に、朝倉喬司が北川氏の話を根拠として済ませていました。或いは、物集氏はこれを知っていて、朝倉氏の使用しなかった塩原氏の報告と、朝倉氏の気付いていなかった(らしい)『魔女の伝言板』に差し替えたのではないか、と云う気もしてきます。そうでなければ、北川氏の生年から「小学三年生の時」が本当は昭和14年度で『紙芝居昭和史』と合致してしまうことに気付いて、敢えて無視したのでしょうか。
 とにかく、『紙芝居昭和史』を否定するに最も効果的なのは、同じ東京で〈通り魔〉型の、北川氏の話の方だと思うのです。
 しかしながら、白フリルにとっては、そんなことはどうでも良かったのです。納得した参会者を前に、さらにとんでもないことを言い出します。36頁上段10〜14行め、

「あのさ〜、昭和十年、十二年って云ってもさ〜、/記録された分だけじゃん? 論理的に考えればさ、/もっと早くから話されてた可能性だってあるわけじ/ゃん? 違う〜? 例えばさ〜、ね〜え〜? 明治/三十九(一九〇六)年からとかさ〜?」


 この理屈であれば、別に昭和15年(1940)の流行も否定されません。つまり『紙芝居昭和史』の記述が正しくないかも知れないのは、大した問題ではありません。1月30日付(100)に引きましたが、紙芝居に赤マントの噂が先行するからと云って「赤マントの噂と紙芝居は別物と認めていいのではないかな?」などと了見の狭いことを言う下間化外先生とは器が違うのです。
 それは良いとして、問題は明治39年(1906)です。
 私はこの説は全く問題にならないと思っています。しかし、強引でも一応の筋は通してあります。これまで当ブログでは、イケナイと思っている説明をいくつも取り上げて確認してきましたが、それは誤った理解を広める可能性があるので、違うのだと云うことをせめて示して置きたかったからでした。けれどもこの小説の場合、1月30日付(100)の最後にも述べたように、作者は真面目な考察としては書いていないのではないか、綱渡りのような筋道を飽くまでもお遊びとして捏ね上げただけなのではないか、と思えて仕方がないのです。まぁ森鴎外も「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだ」と云っておりますからそれは自由なので、研究とまでは行かなくても、それなりに真面目に赤マントを取り扱って間違っている人たちと同列にする訳には行かないのですけれども。(以下続稿)