瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(215)

・朝里樹『日本現代怪異事典』(3)
 朝里氏は「発生の背景」を述べたものとして、物集高音『赤きマント』に続いて次の文献を取り上げております。26頁下段16行め~27頁上段4行め、

 また別冊宝島編集部編『伝染る「怖い噂」』/の中の朝倉喬司「『学校の怪談』はなぜ血/の色を好むのか?」では一九三六年に起き/た二・二六事件が赤マントの噂の発生また/は助長の原因になっているという説が提唱/されている。それによればクーデターを起/こした陸軍将校らの中には赤系統の色をし*1【26】たマントを羽織っていたものがおり、戒厳/令下で詳しい情報も伝わらないままさまざ/まな流言が飛び交った末に怪人の噂を生ん/だのだという。*2


 『伝染る「怖い」』とあるけれども、この書名は2018年8月18日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(35)」の「常光徹他編著『ピアスの穴の白い糸』」と同様に、ちとおかしい。朝倉氏の論考(「「学校の怪談」はなぜ血の色を好むのか?」→「「学校の怪談」はなぜ血の色が好きなのか?」→「トイレの花子さんはなぜ死んだ?」と改題)には4つの版があるのですが、うち別冊宝島268「怖い話の本」とその文庫版『伝染る「怖い」』・再編集版(別冊宝島スペシャル「伝染る都市伝説」)は2013年8月8日付「別冊宝島268「怖い話の本」(1)」に検討しました。この3つの版に於ける朝倉氏の論考の変遷は2013年9月12日付「別冊宝島268「怖い話の本」(3)」に述べてあります。そして朝倉喬司『ヤクザ・風俗・都市』に収録した「「学校の怪談」はなぜ血の色が好きなのか?」と別冊宝島スペシャル「伝染る都市伝説」の「トイレの花子さんはなぜ死んだ?」については、2013年10月19日付(001)及び2013年10月20日付(002)に校異を示して置きました。
 この朝倉氏の説は『現代民話考7』の、北川幸比古の記憶する「警察や軍隊」が登場する噂から二・二六事件との関連を思い付いて、全ての材料をそれに収斂させて行ったようなもので、北川幸比古の記憶違いに飛び付いてしまい、そして実は(かなり)正しかった加太こうじの紙芝居由来説を批判すると云う(この加太氏の説も記憶違いで時期が間違っていたので、朝倉氏に同情の余地がない訳ではないのですが)、私が昭和14年の赤マント流言について(まだ追究の余地はあるのですが、ある程度のところを)明らかにした上で眺めると、かなり残念な内容であると云わざるを得ません。しかし twitter では未だに二・二六事件絡みの説明が喧伝されているので(当ブログは殆ど閲覧されていませんから無理もないのですが)憂鬱な気分になります。
 朝倉氏の依拠した北川幸比古の話の時期については2013年10月24日付(003)に検討しました。ここが崩れた以上、朝倉氏の説はかなり無理があると云わざるを得ないので、かつ、朝倉氏が自説の傍証のように取り扱っている北杜夫『楡家の人びと』に関しても、2013年10月26日付(005)に見たように、実は北氏は正しく昭和13年度のこととして書いているのに(北氏は執筆に際して2014年7月13日付「北杜夫『楡家の人びと』(07)」に見たように「都新聞」を通覧しているので、赤マント流言の時期を押さえていた可能性が高い)、朝倉氏はここを誤魔化して(と云うかきちんと位置付けずに)二・二六事件に寄せようとしているのです。
 実は朝倉氏には、赤マントと二・二六事件について述べた著作が別にあって、2013年11月6日に某区立図書館で借りて内容は確認してあったのですが、当時は同時代資料の探索が進んでいるところだったので取り上げませんでした。しかしその後、状況が改善しないところを見ると、繰り返しになりますが再度取り上げざるを得ないようです。幸い(?)近所の市立図書館の廃棄図書のリサイクルで入手してありますので(所持していることが慌てて取り上げなくても良いと思わせてしまうのですが)近々、この別の著作によって朝倉氏の意見をもう少し詳しく紹介し、さらに突っ込んで批判を加えて見たいと思っております。(以下続稿)

*1:ルビ「うつ・きょうじ」。

*2:ルビ「か」。