牧野氏の2回めの寄稿(15頁)は、まず「種々ご回答」に対する御礼に始まり、『紙芝居昭和史』について、
‥‥。少女暴行と、人さらいの、二つのイメージが混在する所/以もわかって、いろいろと納得。とりわけ次のくだりなどは、溜飲のさがる思いがしました。「赤マント/のデマは、‥‥
として(3〜5行め)、加太こうじ『紙芝居昭和史』の10月25日付(4)に引用したうちでは、文庫版160頁の最後に位置する段落を抜いています(5〜8行め)。
そして、以下のような新情報(8〜14行め)を書き添えるのです。
じっさい、赤マントは強烈なエロ・グロなのでした。加太氏もそこらは筆を控えておられるけれども、/なにをかくそう赤マントは、女の人を襲ってお尻から血を吸うのでありました。つまり経水を飲むので/す。ですから、女性ならいつでも誰でも間に合うというものではなくて、やむなく彼は夜ごとに赤マン/トをひるがえしつつ、あちこちの公衆便所を覗いて廻らねばならなかったらしいのです。しかし、この/変態的イメージが、まさか小学生の発想でしょうか。私のいた小学校は東京の銀座にあって、場所柄マ/セた下町っ子が多かったのですが、それでも右の機微など判らずに、なにか吸血鬼に化けた河童のよう/に思えたりして怖がっていたのでした。
この「経水」には、少々困りました。これも「快速力」と同じで、他にこのような記述が見当たらないのです。「吸血鬼」と書いたものはいくらもあるのですが、そこまでは書けても「経水」とは流石に「強烈」過ぎて、誰も「筆を控えて」書かなかったのかも知れません。
そしてこの2回めの寄稿の最後を、1回めとは違った層に向けた次のような質問(15〜19行め)によって、締めくくっています。
このデマには、やはり大人も加担していたのではないでしょうか。戦争に狩りだされる若者たちこそ/不安を抱き、最も抑圧されていたでしょうし。加太氏の紙芝居は、作者の知らぬまにデマの伝播役を担/ったようですが、ほかにも同様な加担者が、けっこうそこらにいたのではないでしょうか。当時の若者/諸氏に伺います。あなたにとって赤マントは何んであったか。とくにデマの末路について、知らるると/ころをご教示ください。(東京 写真家)
これを受けて当時の同級生から電話が掛かってくるのです。架空の雑誌「週刊アダルト自身」の「お尋ねします」欄に掲載された(ことになっている)この2度めの問掛けに対して「当時の若者諸氏」から何らかの反応があったかどうかは、何も書いてありませんが、……3度めの投稿の内容から推して、残念ながら何の反応もなかったようです。この3度めの投稿で、実は牧野氏が初めからある意図を持って情報提供を呼び掛けていたことが分かるのですが、その前に同級生からの電話で小学校当時の赤マントについては、かなり細かいところまで明確にされるのです。
さて、この電話の中で、加太氏説は牧野氏の同級生の口を借りてほぼ完璧にやっつけられてしまいます。
私も改めて加太氏の記述を読み直してみましたけれども、やはり変です。日暮里駅・谷中墓地近くでの少女暴行殺人事件に関する新聞記事を見付けられていないので、もし時期を確定させられたらもう少し調べようがあるかも知れませんが、その点、まだぼんやりして何とも言えないところがあるのですけれども、――東京は日暮里で少女暴行殺人事件とその近くで演ぜられていた赤マントの紙芝居が結び付いて「赤マント」のデマが発生し、それが紙芝居の絵の移動に合わせて大阪に達してそこで初めて「デマ」の原因として問題になって、大阪の警察によって押収・焼却されたとは、殆ど「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなまだるっこさではありませんか。
当ブログでは一応の順を追って記述を進めているので、なかなか同時代資料に言及出来ないでいるのですが、赤マントは加太氏の云う「昭和十五年の一月頃」ではなくてその約1年前に社会問題になるほどの騒動を東京に巻き起こしているのです。尤も、時期については、単なる記憶違いであって、1年ずらせばそれで良いのかも知れません。かつて2012年4月11日付「現代詩文庫47『木原孝一詩集』(1)」でもこうした記憶違い、1年の脱落を確認したことがありました。
しかしながら、東京でこそ警察を動員しての大騒動になったことを全く記憶していないらしいのは、何故なのでしょうか。この、加太氏に於ける記憶の欠落について、私は上手く説明する理屈を持ちません。とにかく『紙芝居昭和史』の「赤マント」に関する記述は、こうした原因不明の記憶の混乱によって当時の実情に全く合致しておらず、加太氏の作った題名不明の赤マントの魔法使いの登場する紙芝居の写しやら上演記録やら、とにかく何か裏付けになるような材料でも出て来ない限り、この騒動の中に位置付けようとしても無理が生ずるばかりです。従来、資料が不足していたことから重んじられてきた加太氏の記述ですが、今後はそれこそ「参考資料」扱いすべきものと考えます。その点、小説という形式のために「参考資料」扱いせざるを得ない「わたしの赤マント」の方が、余程真に迫っているのです。
それでは次回、いよいよ核心部分の同級生の電話について、検討して行くことにしましょう。(以下続稿)