瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(18)

 それでは新聞各紙の報道を眺めて置きましょう。
 11月3日付(13)に引いた朝倉喬司の赤マントについての考察に「そのころはマスメディアが「噂」を熱っぽくフォローするなどという状況はなかったので」とありましたが、実は「都新聞」は連日赤マントに関連する記事を載せています。岩佐氏は11月5日付(15)で見たように、どうも、昭和14年(1939)2月23日(木曜日)の夕刊の記事で初めて気が付いたみたいですが、関連する記事は既に2月19日(日曜日)夕刊に出ています。尤も「都新聞」は当初「赤マント」とは云っておらず、2月20日(月曜日)朝刊で一件落着したかのように報道していましたので、目を通していたとしても印象に残らなかったのでしょう。――「都新聞」は現在柏書房から復刻版が刊行中ですが、まだ昭和14年(1939)には及んでいないので、原紙かマイクロフィルムを見るしかありません。時間に余裕のない中、マイクロリーダーをからから回して拾って行ったので、或いは見落しもあるかも知れません。
 それはともかく、まだ当時東京で発行されていた新聞の全てを確認していないのですが、「都新聞」の報道によって大体の流れはつかめたと思います。論文にするのなら全部を見た上で挙げるべきでしょうけれども、そうではないので仮に「都新聞」を軸に、他紙にも及ぶという形で紹介してみたいと思います。まだ見ていない各紙も追々補って行ければと思っています。長ければ1本の記事も分割しますが、短くても1日1紙1本ずつ挙げることにします。従って、似たような記事が並ぶことになるかも知れません。とにかく、今はまづ、資料を網羅して置く必要がありましょう。もちろん私が短時間にここまで掘り出せたのは、過去には整っていなかった、資料が探せる環境の整備が第一にあります。出来る環境にあって、そしていくらも見出せることが分かった以上、ありそうなところは全て見て、出来る限りのことはして置こうと思うのです。……あまり上品なテーマではありませんけれども。知人にこんなブログをやっていると伝えていなくて良かった。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 「都新聞」昭和十四年二月二十日(月曜日)付、第一万八千四百廿九號の「夕刊」、すなわち前日刊行で(一)面に(十九日夕刊八頁)とある、昭和14年(1939)2月19日の午後の新聞の(二)*1、14段組の紙面のうち下5段分は広告、記事は9段あってその5〜7段め、見出しは3段抜き、明朝体太字で大きく「飛鳥山の不良狩/傴僂恐怖の副産卅七名」とあります。本文の1字下げのところにはルビがなく行間も詰まっています。年齢の漢数字小さく、2桁めが右寄せ、1桁めが左寄せ。

婦女子に喰ひついて血を吸うセム/シ小男が出沒するといふとんでも/ない噂に瀧野川署では警視廳の命/を受け十八日夜から十九日深更に/亘り非番巡査を動員、管内の密行/警戒等一齊取締を行つたところ*2
 小石川區石原町一の四職工山田/ 春吉(二六)荒川區日暮里町七の六/【5段め】
 四五女工内田つや(二四)何れも假/ 名―外勞働者、學生、職工男女と/
 りまぜて卅七名が網にかゝつた/ 内別すると飛鳥山での密會者八/
 組を始め未成年者の飲酒、タカ/ リ或は女だてらの喧嘩等々で肝/
 腎のセムシ男は擧げられなかつ/ たが同署では意外に多い不屆者/
 に啞然としてゐる
尚、惡質十三名を留置して他はそ/*3【6段め】れぞれ十九日朝嚴重説諭の上釋放*4【7段め】


 今のところ、これが私の見たうちでは最も早い報道です。(以下続稿) 

*1:「C」とあり。

*2:ルビ「ふ・く・ち・す/ぼつ/うはさ・たきの・しよ・けいしちやう・めい/う・しんかう/わた・ひばんじゆんさ・どうゐん・くわん・みつ/けいかい・せいとりしまり」。

*3:ルビ「なほ・あくしつ・めい・りうち・た」。

*4:ルビ「げん・せつゆ・しやくはう」。