瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(25)

 やはり昭和14年(1939)2月23日(木曜日)夕刊に初めて赤マントを取り上げたらしい「報知新聞」も、他紙とは違った記事を載せております。
 昭和十四年二月二十四日(金曜日)付、第二萬二千三百三十五號の「刊夕*1」、すなわち(一)面の題字の下に「行發日三十二」とあって23日の午後の新聞、その(二)面*2、記事は9段、その下に広告が5段分に広い3段に組まれていますが、その記事の8〜9段め、見出しは2段抜きで「"赤マント"の男?/インチキ醫療師捕る」とあって、年齢の漢数字は小さく、2桁めが右寄せ、1桁めが左寄せ。また最後の1字下げの箇所はルビがありません。

最近王子方面を初めほとんど全市/に亘り『赤マントを着たせむし男/の吸血鬼が夜外出する少女達の/生血を吸ふ』といふ飛んだデマが/流布されてゐるがこのデマの本源/はこの男か?――小松川署では數/日前から本籍縣米澤市直峰町四九/九七、現住所本所區厩橋一の三二/賣藥請負商鹽井進(四九)を醫師法違/反で留置取調べてゐるが、同人は/『脚氣、腦病、梅毒などは瀉血療/法で根治する』と稱して昨年秋か/*3【8段め】ら四百數十人の患者を手がけその/都度怪しげな方法で一回に五十乃/至五百㌘の血を吐き出させてゐる/のであるひはこの男の奇怪なる行/動が『赤マント』のデマを生んだ/ものではないかと見られてゐる*4
 なほ警視廳では流言飛語の徹底/ 的取締を期するため二十三日午/
 後七時からのラヂオニユースで/ 布告を發する


 昨日紹介した「東京日日新聞」といい、どうも最初にこの騒動に乗り遅れて後追いになった新聞は、妙なところから無理にでも関連付けられそうなネタを拾って来ているような按配に見えます。(以下続稿)

*1:角書。

*2:「D」とあり。

*3:ルビ「さいきんわう・はう・ぜんし/あか・き/きふけつき・ぐわいしゆつ・せうぢよ/ち・す・と/ふ・ほん/まつかはしよ・すう/ぜん・ほんせきけん・さはし/げんぢうしよほんしよく・はし/ばいやくうけおひしやうしほ・いしはふゐ/はん・りうちとりしら・どうにん/け・なうびやう・どく・しやけつれう/はふ・こん・しよう・さくねん」。

*4:ルビ「すう・にん・くわんしや/つどあや・はうはふ・くわい/し・ち/きくわい・かう/どう・あか/み」。