昭和14年(1939)2月20日(月曜日)に出た記事を、もうしばらく見て置きます。
「都新聞」昭和十四年二月二十日(月曜日)付、第一万八千四百廿九號*1、(十一)面*2、14段組の紙面のうち下2段分は広告で、12段ある記事の12段めにあります。見出しはゴシック体で大きく示されていますが、見出しの下から本文が始まっています。ルビも附されていないベタ記事です。年齢の漢数字は小さく、2桁めが右寄せ、1桁めが左寄せ。
變態少年捕る 去る十八/日午後一時半ごろ、板橋區板橋町/六ノ三二四女工佐藤明子(一九)さん/が歸宅の途中自宅付近で丸顔の美/少年が突然背後から抱き付き悲鳴/に密行中の板橋署員がかけつけ逮/捕、十九日に至り少年は同區志村/清水町二六三佐々木保長男保雄(一/八)―假名―で若い女の悲鳴を聞く/のが何より好きと云ふ厄介な變態/少年で昨年以來十數人を襲つたこ/とを自白した、付近では犯人は肺/病を治療する爲め若い女の生血を/すゝるんだ等デマが飛んでゐた程/で當局でもホツとしてゐる
11月5日付(15)に引いた「都新聞」23日夕刊(二十四日付)の記事冒頭に「最近板橋王子方面を中心として」とありました。「王子方面」は11月8日付(18)及び11月9日付(19)で見た飛鳥山の一件で「板橋」はこの事件です。すなわち3日後には「都新聞」も両者を「赤マント」に関連付けることになるのですが、この時点では「吸血」という共通点はありながら「王子」と「板橋」を別々の事件として扱っているようで、特に「板橋」の方は「セムシ男」とは結び付いていない、療治のために「生血」を吸う「肺病」患者ということになっています。いづれにせよ、20日付の段階での「都新聞」では、どちらも局地的な事件という扱いなのです。
ところが、他紙には21日付*3でこの「板橋」の変態少年を「赤マント」に結び付ける記事が出て来るのです。――新聞だけが流言を作り上げ、流布させる訳ではないのですが、次第に形を成して行く様子は、実際のデマの生成を見ているような気にさせられるものがあります。いえ「生成」は言い過ぎです、……生成過程を反映しているかに見えます。
その記事を眺める前に、もう1紙、この「板橋」の事件についての「都新聞」よりも詳しい20日付の記事*4を、報告して置きましょう。(以下続稿)