瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(33)

 11月21日付(31)の続きで、大宅壮一「「赤マント」社會學」の「二」章から抄出して見ましょう。(本欄423)頁中段4〜18行め、ちくま文庫『犯罪百話 昭和篇』346頁7〜14行め。

     
 もつとも、この流言には全然根據がなかつ/たわけではない。日暮里邊で佝僂の不良が通/行|の少女にいたづらをしたとか、大塚か池袋/で變態男が安全剃刀で通行の女に切りつけた/とか|いふ事件が事實あつたさうだ。よくある/ことだが、近頃はさういふ記事を新聞があま/り扱は|ないし、扱つてもほんの、五六行で片/づけてしまふ場合が多い。それに尾鰭をつけ/て口から|口へ傳へられて行くうちに、段々話/が大きくなり、たちまち全市の話題となり、/當局は驚い|て、新聞にその取消記事を書かせ/たり、ラヂオ・ニュースでそれを打消したり/しなければな|らぬやうな騒ぎになつたのであ/る。


 ここで大宅氏は流言の根拠を挙げているのですが、「事件」が騒がれ出した初期の新聞記事にあった「飛鳥山」や「板橋」ではなくて、それぞれ鉄道伝いに若干南の地名を挙げているのが注意されます。内容的にもそれぞれ、東(石神井川下流)の「飛鳥山」→「日暮里」が「佝僂」で、西(石神井川の上流)の「板橋」→「池袋・大塚」が「変態」といった辺りは共通しています。しかしながら、日暮里や大塚・池袋の「事件」というのは実際あったものなのでしょうか。「あったそうだ」というので、大宅氏が「五六行*1で片づけ」た記事を実際確認した訳ではないようです。ですから、大宅氏の言うように、新聞が「そういう記事を新聞があまり扱わない」でいるうちに「話が大きくな」ったという見当で当たっているかどうかは、当時の新聞を、それこそ11月11日付(21)で見た「中外商業新報」の板橋の変態少年の記事にあった「昨年暮」くらいまで遡って、その時期の「五六行で片づけ」た記事を探してみないことには、確かなことは言えません。
 但し「日暮里辺で‥‥通行の少女にいたずら」というのは、10月25日付(04)で見た、裏付けの取れない加太氏の説明に似ている点が少し注意されます。時期が全然違いますが。
 さて、この変態少年が捕まったという記事は本文22行でしたが、流言の「取消記事」とまでは言えないまでも既に流言絡みの扱いになっていますので、ただの「よくある」変態の記事とは言えません。「取消記事」になると11月12日付(22)及び11月13日付(23)で見た昭和14年(1939)2月21日付「やまと新聞」「萬朝報」以下、大きな扱いになって、23日夕刊の、11月5日付(15)で見た「都新聞」及び11月15日付(25)で見た「報知新聞」には「ラヂオ・ニュース」の予告が出ていました。(以下続稿)

*1:もちろん56行ではなくて5〜6行です。