瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(163)

・「經濟雜誌ダイヤモンド」第二十七卷第七號(4)
 一昨日の続きで、七二(1176)頁の2段め2行めから20行めまでの2段めを抜いて見ましょう。

◇餘り噂が高いので、警視廳で調/べて見ても、何の根據もなく、そ/んなデマの原因になつたらしい不/良を何人か擧げたに過ぎぬ。しか/し一種の人心不安は事實であり、/延いては警察力に對する不信とも/なるので、事實無根の旨を各方面/に徹底させるやうに、管下の警察/署宛てに達示し、二十三日の晩に/は其旨をラヂオでも放送した。そ/れで恐らく久しからずして、この/恐怖は一掃されるであらう。しか/し今回の流言沙汰が、新聞紙上に/掲載を差止められてゐるといふ一/項を必ず附加することによつて、/一般的措信力、從つてその傳播力/を高めたといふ事實は、現在の世/相と人心に關する深刻なる示唆を/含むものと云はねばならぬ。


 「不良」のことは、2013年11月8日付(18)に引いた「都新聞」昭和14年2月20日付(19日夕刊)第18429号の「飛鳥山の不良狩/傴僂恐怖の副産卅七名」及び2013年11月9日付(19)に引いた「國民新聞昭和14年2月20日付、第16969号の「デマの本拠/飛鳥山の獲物」に見えており、昭和14年(1939)2月18日晩に既に不良狩りをするほど、この流言が広まっていたことが分かります。ちなみに、石神井川(瀧野川)の上流に当たる板橋の事件に由来すると云う説もあって、、2013年11月12日付(22)に引いた「やまと新聞」昭和14年2月21日付第18075号及び、この版を流用したと思しき、2013年11月13日付(23)に引いた「萬朝報」昭和14年2月21日付第16272号には、この流言は板橋の変態少年に由来するとの説明が見えていました。この板橋の変態少年の事件は、2013年11月10日付(20)に見たように「都新聞」昭和14年2月20日付第18429号にも見えているのですが、こちらは赤マントとは結び付けていないのです。
 そして「ラヂオ」の放送は昭和14年2月23日19時からで、このことは2013年11月5日付(15)に引いた「都新聞」昭和14年2月24日付(23日夕刊)第18433号及び2013年11月15日付(25)に引いた「報知新聞」昭和14年2月24日付(23日夕刊)第22335号にて予告され、ニュースの警視庁公示事項として放送された内容は2013年11月19日付(29)に引いた「中央公論昭和14年4月号の「東京だより」に示されています。
 これらの事実は当ブログで既に明らかにして来たところですが、今回新たに分かった「今回の流言沙汰が、新聞紙上に掲載を差し止められているという一項を必ず附加することによって」との事実には少々興奮させられました。――小沢信男「わたしの赤マント」には、2013年11月2日付(12)に引いたように「昭和十三年秋以降の朝日新聞縮刷版二年分を調べまし/た。赤マントの記事は一つも見あたりませんでした。」との一節があるのですが、要するに大手の新聞は当局の指示に従ってこの一件を(積極的に)掲載しなかったから、記事が見当たらなかったのです。小沢氏が当時目にしたと思しき、2013年11月3日付(13)に引いた「讀賣新聞昭和14年2月26日付(25日夕刊)第22300号の記事は、別の流言の前振りとして「王子方面から全市にひろがった「赤マントせむし男」の吸血談」に触れたもので、「讀賣新聞」には他に、赤マントそのものを取り上げた記事は出ていないのです。「東京日日新聞」も2013年11月14日付(24)に引いた昭和14年2月24日付(23日夕刊)第22485号の「“赤マント”は大うそ」及び、2013年12月7日付(47)に引いた、昭和14年2月28日付(27日夕刊)第22489号の「デマを一掃しよう」の2つしか記事を出していないのも、やはりこの「差止め」に配慮したためらしいのです。
 そして、――戦前の東京を描写するに当たって、北杜夫2014年7月13日付「北杜夫『楡家の人びと』(07)」に引いたように「朝日新聞」とともに「都新聞」を閲覧し、その赤マントの記述も2014年7月14日付(140)に指摘したようにその成果らしいのに対して、2014年7月15日付「中島京子『小さいおうち』(38)」に述べたように、中島京子のちょっと褒められ過ぎている直木賞受賞作が資料として「都新聞」を逸しているらしいこと、このことによる両者の逕庭は、実は相当大きいのではないか(北氏が実際に戦前の東京で生活していることを割り引いても)と云うことを、この「差止め」に対する両紙の対応の違いからも、改めて感じたのでした。(以下続稿)