瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(112)

・大阪附近の赤マント(8)
 「大阪毎日新聞」の6月末7月初めの2週間分を眺めて『〈新聞/集成〉昭和編年史』に転載されているものも含め、記事を3つ拾えた(もっとじっくり見ればまだあるかも知れません)ので、2月7日付(107)に「1紙だけですが2週間分ほどざっと眺めてみましたので、ここに報告して置くことにしました」と書いたのですが、それだけではいけないので、直後にもう1紙、見て置きました。
 大阪朝日新聞も「東京朝日新聞」よりは遅れるのですが、戦前から縮刷版を出しています。「大阪朝日新聞縮刷版」昭和十四年七月號/第十二卷第七號*1、前付(14)頁は(1)頁「日誌」、(2)〜(14)頁「記事索引*2」で、そのうち「社會」の最後、(8)頁3段め(7段組)【一  般】のところを見るに、

赤マント流言の源は紙芝居物語…一一五*3

と出ています。まさに探し求めていた記事です。詳細は明日報告することにしましょう。――「聞蔵IIビジュアル」では「大阪朝日新聞」の記事は検索出来ません(日付を指定すると紙面は閲覧出来ます)ので、縮刷版の「記事索引」が未だに効力を発揮するのです。(以下続稿)

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 私は小学生の頃、火山について調べたことがあって、今でもGoogleその他の航空写真で火山地形を眺めて暇を潰している。ここのところ西之島が着々と拡大していて、海上保安庁海洋情報部の「海域火山データベース」の「西之島」や、空間情報の総合企業PASCO「2013年11月 西之島 噴火活動モニタリング」で、その模様を毎日のように確かめている。地形の変化を見るのが面白い。ネット上で西之島スヌーピー島と改名しようなどという話が盛り上がったとき、馬鹿な為政者にそれに乗っかるような動きが出たらどうしようかと思ったが、島が拡大を続けたおかげで幸いそんなことにならずに済んだ。西之島というのも味気ない名前だが、無人島の名称なのだからこんなのでも良いのである。昭和48年(1973)から昭和49年(1974)に掛けての西之島新島の活動は、物心付く前で記憶していない。その後、旧島と新島の間に形成された湾の名残が小さな池となって残っていたのが、昨日撮影の写真では溶岩流が流入して消滅しそうになっている。かつての西之島新島は火砕丘の周囲を溶岩流が覆うところまでは至らなかったため、溶岩流よりも海蝕に弱い火砕丘の部分から浸食されて、溶岩流の部分も含め殆ど残存していない。対して今回の活動では火砕丘の周囲は溶岩流で覆われており、火砕丘の裾野が海から最も近かった東南東岸も、先月来南北から溶岩流が流入し続けて湾のようになっている。そのうち塞がって火砕丘が海から更に遠ざかれば、いよいよ安定するであろう。名称と言えば、地続きになった新島に命名する必要はない訳だけれども、まだ火砕丘の名前が付いていないはずである。円錐形の南側の火砕丘は、月並みだが「西之島富士」で良いのではないか。

*1:私の見たものでは奥付を確認出来なかった。

*2:各頁の上欄外には「引索號月七年四十和昭 聞新日朝阪大」とあり。

*3:漢数字はゴシック体半角。