瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

遠藤周作『作家の日記』(1)

講談社文芸文庫(二〇〇二年二月一〇日第一刷発行・定価1700円・504頁)

 他にも幾つかの版があるが差当り一番新しいこの文庫版に拠って置く。
 昭和25年(1950)6月4日から昭和27年(1952)8月26日まで、遠藤周作(1923.3.27〜1996.9.29)が第1回カトリック留学生として日本を発ち、フランスで留学生活を送るうちに結核を発病して国際学生療養所に滞在するまでの日記で、帰国は昭和28年(1953)2月でその分の日記は別に刊行されている。
 フランスまでは船旅で、昭和25年(1950)6月4日にフランス船マルセイエーズ号にて横浜を出港し、7月5日にマルセイユに到着。
 途中、7月1日に、スエズ運河を航行中に「船のニュース」で「北朝鮮」が「南朝鮮に侵入した」ことを知る*1。6月25日に勃発した朝鮮戦争である。
 スエズ運河までの寄港地は神戸(6月5〜7日)香港(6月10〜11日)マニラ(6月12〜13日)西貢*2(6月15〜17日)シンガポール(6月19日)コロンボ(6月23〜24日)ジプチ(6月28日)。
 そして7月1日スエズ、ポートサイド(7月1〜2日)から地中海に入り、26頁12〜14行め、

 7月3日(月)夜
 船は今、伊太利の南端クレタ島を右廻している。両岸は蛍火のような光だ。山の灯、道/の灯が海面に揺れている。満月が波を銀色にそめている。愈々伊太利にきたのだ。

とあるのだが、クレタ島ギリシャで両岸がどうのという海峡にも面していないから、これはシチリア島の誤りである。すなわちメッシーナ海峡を通過して、左(西)側、シチリア島メッシーナ(Messina)と右(東)側、イタリア半島レッジョ・ディ・カラブリア(Reggio di Calabria)の燈火を目にしているのである。
 そして船はティレニア海に入る。同日条の最後、27頁4〜6行め、正確に云うと7月4日の未明のことになるが、

 午前二時まで起きている。船は突然、その前面に円錐形の火山島をうかべた。ぼくは甲/板に靠れてその山をみていた。突然、火柱と火の粉があがった。火柱は、黒色の夜空を/紅にそめた。*3

という光景を目にする*4
 この、噴火した円錐形の火山島はエオリア諸島のストロンボリ島(926m)で、噴煙よりも赤熱した溶岩を飛散させる形式の噴火が夜間でも良く望見されるが故に古代より“地中海の燈台”と称され、この型の噴火の呼称“ストロンボリ式噴火”の由来となった。日本では、現在も継続中の小笠原諸島西之島の噴火がこの型である。
・2014年3月14日撮影 西之島*5

 ストロンボリ(Stromboli)島は現在も活発に活動中で、溶岩も流下させている。動画は多数上がっているがその1つを上げて置く。
・2013年4月17〜19日撮影

 ついでに少し古いところを上げて置く。
・1930年代


*1:南朝鮮」は〔仏〕Corée du sud =〔英〕South Korea の訳で、現在感じられる政治的な意味合いはない。

*2:ルビ「サイゴン」。現在のホーチミン

*3:ルビ「/もた/くれない」。

*4:講談社文芸文庫版には注はない。久松健一「遠藤周作がフランス語の書物群から受けた影響 旧蔵書の調査を通じて」(「明治大学人文科学研究所紀要」第69冊25〜82頁・2011年3月31日)は、その大半、30頁10行め〜79頁15行めが「1章 留学時代に遠藤周作が読んだフランス語の原本を追う」に費やされており、留学の背景や旅程にも触れ、読書を中心にした『作家の日記』注釈として参考になるが、「伊太利の南端クレタ島」をそのままにしており、遠藤氏の見ている前で噴火した島のことには、触れていない。なお、2009年度(平成21年度)科学研究費助成事業(KAKEN)奨励研究として長崎市遠藤周作文学館学芸員池田静香(現・福岡共同公文書館専門員)が「遠藤周作『作家の日記』『滞仏日記』の注釈及び本文の校訂」を行っているが、その成果は公表されていないようである。

*5:【8月29日追記】何故か「5月18日」と誤っていたのを修正し「撮影」を添えた。次のストロンボリ島の動画にも「撮影」を加えた。