・大阪附近の赤マント(9)
昨日の続きで「大阪朝日新聞」について。
「大阪朝日新聞」の縮刷版は、昭和十四年六月號と昭和十四年八月號の「記事索引」も見ましたが、赤マントは出ていないようでした。
「大阪朝日新聞」昭和十四年七月八日(土曜日)付第二万七百三十五号、7月8日の朝刊で(一)面に「頁六十共刊夕紙本」とあって、七月八日付夕刊は4頁で題字の下に「日七月七/刊夕」とあります。
朝刊に戻って(七)面*1、14段組のうち12段めまで記事で2段分は広告、9〜11段めの中央右側、見出しは3段抜きで9〜10段めに掛けて鍵括弧開き(「 )の形の破線があって、その上に横組みゴシック体で「トンマ赤」、10〜11段めに当たる破線の下に縦組み明朝体で「やつと突きとめた正體」、そして鍵括弧の内側、9〜11段めに相当する位置に大きく、明朝体の太字で「紙芝居の物語が/流言の源だつた」とあります。
1字下げの箇所は振仮名なく行間が詰まっており、二重鍵括弧は半角です。「“ ”」としたのは「〃」とその上下反転。
東京、大阪の少年少女たちをしき/りと脅かしてゐた“吹き矢の赤マ/ント”は紙芝居に出て來る幻想の/惡魔だつた――『可愛い赤ちやん/や學校歸りの小學生に吹き矢を射/つて血のしたゝりを吸ふ恐怖の赤/マント……』の噂がこゝ二週間前/から北大阪の學童間にしきりと傳/へられ噂は噂を生んでだん/\と/波紋を大きくしいつとはなしにロ/シヤ歸りといふ思想的な響きすら/持つやうになつたので大阪府特高/課思想第二係では噂の北大阪一帶/*2【9段め】に『赤マント』調査の手を伸した/ところ、意外にもこの『赤マント/の惡魔』は去月二十日ごろから北/大阪の裏町を轉々歩いてゐた街の/人氣者紙芝居『不思議の國』が禍/したとんだ流言と分つたので七日/同係では紙芝居のおつさん大阪東/淀川區本庄二丁目岩本助吉(三十/九才)=/假名=を呼び出し嚴重注意すると/ともに『不思議の國』全卷百九十/二枚の任意提出を求めた*3
この紙芝居『不思議の國』は昨年/
十月東京荒川區三河島町大日本/【10段め】
畫劇株式會社に作製された全長/
十六卷(一卷十二枚)十六日興行/
【ここ11行分に紙芝居の写真】
これが紙芝居の“赤マント”
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の長篇もので、盲目の父親と妹/
を養つてゐる貧乏な一少年の家/
へある夜赤マントの惡魔が忍び/
入り金が欲しくばお前を夢の國/
の王樣にしてやると恐ろしい三/
つの試練を課題して少年を恐怖/
の幻想に叩き込むといふ孝行少/
年の生活苦鬪史であるが餘りに/
も物語が長いのと“次はまた明/
日”の營業心理が禍して街の子/
供達はその一部のみを見るため/
すつかり赤マントに脅えこれに/
尾鰭がついたものである【11段め】
写真ですが紙芝居の1枚で、背景は長方形の石を積んだ石垣で、登場人物は3人、右が怪人らしく脚を上げて左の人物を蹴ったところ、左の人物も怪しげな男性なのですが右手を上げて仰け反って倒れるところで、その間、怪人の蹴り上げた脚の下におかっぱの少女が仰け反るようにして怪人を見上げている姿が確認出来ます。マントは良く分かりませんが、怪人の背後にあるのでしょうか。倒れる人物の輪郭ははっきり見えていますが、胴体は黒く見える服で特にマントのようなものを羽織っていません。
この紙芝居の記事はもう1つ見ています。詳細についてはそちらも見た上で、検討することとしましょう。(以下続稿)
*1:「H □」□の中に「大」とある。
*2:ルビ「/おびや・ふ・や・あか/しばゐ・げんさう/あくま・あい・あか/かへ・ふ・や/ち・す・きようふ・あか/うはさ・しう/どう・つた/うはさ・うはさ/はもん/かへ・しさうてき/も・とく/くわしさう・かゝり・うはさ・たい」。
*3:ルビ「あか・ちようさ/い・あか/あくま・きよ・うら・てん・まち/しばゐ・しぎ/りうげん/かゝり・しばゐ/よど・しよう・すけ/か・よ・げん・ちうい/しぎ・ぜんくわん/まい・にんいてい・もと」。【4月13日追記】「おっさん」の年齢を「五十九才」としていましたが「三十九才」と修正しました。但し「聞蔵IIビジュアル」では文字が潰れてはっきりしないので、別の方法で確かめようと思いつつ果たせずにいるうち、修正が遅くなってしまいました。
*4:この線は破線。