瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(114)

・大阪附近の赤マント(10)
 前回引用した「大阪朝日新聞」の内容からして、この問題を前月末から取り上げていた「大阪毎日新聞」が何ともしていない筈がありません。そこで「大阪毎日新聞」もさらに範囲を広げて、「大阪朝日新聞」の記事が出ていた昭和14年(1939)7月8日(土曜日)から眺めてみたのですが、やはり、同じ日の朝刊に同じ件を取り上げていました。
 「大阪毎日新聞昭和十四年七月八日(土曜日)付第二万二百一号は12頁で、その(七)面*1、14段組のうち12段めまで記事で2段分は広告、10〜11段めの左寄りに、見出し2段抜きで、明朝体で大きく「正體は紙芝居!?」脇にゴシック体でやや小さく下寄せ*2で「謎解けた"赤マントの怪人"」とあります。
 1字下げの箇所は振仮名なく行間が詰まっています。「“ ”」としたのは「〃」とその上下反転。

“赤マントの怪人”が捕はれた―/―といつてももと/\實體があつ/たわけでないのだから、奇怪な流/言の原因がつきとめられたのだ、/帝都を騒がした奇怪な噂が西へ飛/んで京阪神の子供たちを脅かし、/時局柄、學校や當局の神經をいら/だたせたことは既報の通りだが、/府特高課石川警部はこの流言の根/源をつきとめるべくメスを加へた/結果七日やつと謎を解きほぐすこ/とが出來た*3
 種を明かせば全く噴飯もので東/
 淀川區本庄中通三、小杉信一―/
 假名―が東京荒川區三河島八ノ/
 一六五二大日本畫劇株式會社製/
 作内務省檢閲濟の紙芝居「不思/
 議の國」をうちつゞけてゐたが/
 「貧しい夕刊賣りの少年が赤マ/
 ントの怪人にいひよられ、お伽/
 の國の王樣にしてやるかはりに/
 父と妹の生血を吸へとそゝのか/【10段め】
 されたが斷然これをふり切つて/
 相變らず貧乏な夕刊賣りに甘ん/
 じてゐた」との内容を盛つたも/
 ので、これが斷片的に少年の間/
 に語り傳へられ、いつの間にや/
 ら“赤マントの怪人”が實在の/
 ものでもあるかのようにいひふ/
 らされてゐたことがわかり
同課ではこの紙芝居興行をさしと/めるよう各署に通達した*4【11段め】


 「大阪朝日新聞」の記事と突合せることで、この件については大体のことが分かるように思います。次回、両者の異同の確認からこの件について細かく検討を加えて見ようと思っています。(以下続稿)

*1:右上に「■C」とあり、■に白抜き「大」。

*2:右は「は」、左は「捕」と同じ高さ。

*3:ルビ「くわい・とら/じつたい/きくわい・りう/いん/さわ・きくわい・うはさ・と/おびや/きよくから・きよく・けい/きほう/とく・くわ・けいぶ・りう・こん/げん/けつくわ・なぞ・と/」。

*4:ルビ「くわ・しば・こう/しよ・たつ」。