瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

楠勝平『おせん』(1)

 東京に出て来て浪人していた当時、教科によって出来に酷い偏りがあったので、予備校は英語を専門としているところに入り、他に大手予備校の単科の国語と世界史を受講した。正直、国語と世界史は受講しなくても良かったかも知れない。それで、かなり自由になる時間があったので、図書館に入り浸るようになったのである。
 私が図書館に通うようになったのは小学4年生の頃だったか、友人と、バスを1度乗り換えて城内にある図書館に通ったのが最初で、それからバス1本で図書館に通えるところに引っ越したのだけれども、バス代を惜しんだのと、その土地の気風に馴染めなくて、私如きも混ぜて遊んでくれる同級生もいたのであるが、そこから離れて時間を潰したくて、歩いて通ったのである。高校時代にもやはり高校の帰りに、高校からだと30分か1時間歩いて図書館に通った。高校の図書室も、いや、別棟だったから「図書館」だったのだけれども、高1の時点で司書から「図書館だより」への寄稿を求められるくらい、使い倒していた*1
 それが東京は、中学校と同じくらいの間隔で図書館がある。早速いくつかの館に通い慣れてしまった。
 することがなかった。1人だけ東京に出て来て、同級生の中には何人か東京の大学に進学した者もあったらしいが、浪人が決まって後は卒業式に出たくらいでそんな消息を聞く余裕もなかったし、後に私も大学に入ってから2人ばかり高2のときの同級生に再会し、また噂にも聞いたその他の上京組は、もとよりそんなに親しい者たちでもなかった。全く孤独だった。今も持っていないが、携帯電話など全くと云って良いくらい普及していなかったから、電話も掛かって来ない。当時は筆まめだったので万年筆で別の部活の後輩(私の所属していた部活は、事情があって後輩と断絶していたので、高3の頃は親しくしていた友人が部長を務めていた部員でもなんでもない部活に入り浸っていた)に手紙を書いたりしたが、向うは殆ど返事を寄越さないのでそのうち絶えた。メールがあればそうはならなかったかも知れぬが、それも面倒な気がする。現に、面倒なのでメールも殆ど使っていない。まぁあっちはこっちほど退屈ではないはずだから当然だ。ただ、あまり孤独を気にしないので、今でも外出は基本1人だし昼食も食堂で1人で食べている。友人との約束がしょっちゅうあるような男がこんなに図書館を回って本を借りて集めたりは出来ないだろう。それはそうと、成人式の案内が区役所から来たときには困った。困らなくても良かったのだけれど、どうしろっつうのか、と思った。大学1年だったけれども、誰も知った者がいないのである。大学の友人にも私の当時住んでいた辺りの住人は皆無だった。私以外の連中は、どこぞのように毎年不良が暴れるとかいう話こそ聞かなかったが、それこそ同窓会のようになって盛り上がるんだろう。それに、有名人が来るとか云う訳でもなかった*2から、出席しなかった。後日、区役所から記念品を取りに来るよう通知があったが、行かなかった。今にして見れば、何だったのか覚えていないがとにかく記念品だけは受け取って置けば税金の無駄遣いにしなかったものを、と思う。しかし当時は納税者でなかったので実感がなかったのだ。
 そんな、浪人時代にたぶん滞在時間が一番長かった某区立図書館に『おせん』があったのである。
 その後も、たまに通学途中に立ち寄って、毎回ではないが気が向いたら手にしたものである。
 それが、実家を出たことでなかなかこの図書館に行けなくなってしまった。そのうちに改築計画が持ち上がってしばらく休館、その後少し移動して新築開館し、往時とは全く違う間取りとなってしまった*3。当時、美術書の棚は腰か胸くらいの高さしかなかったので、棚の上に置いて立ったまま読んだものだった。今は私の背丈よりも高い棚ばかりになっている。しかしながら、かつて慣れ親しんだ本が並んでいるから、電車賃を払ってでも出掛ける。通い慣れた図書館に行って、往年手にしたらしい本を見た方が、落ち着くのである。別の区の、やはり近年少し移動して開館した図書館も、やはり交通費がかかる上に家を出てから戻るまで延べ1時間は歩くので、私のように歩くのにも手が抜けない上にすぐに汗を掻いてしまう人間には適さない(若けりゃ未だしも)のだが、それでも20代の頃に書庫代わりに馴染んだ使い勝手の良さが捨てがたいのである。だから、どちらの図書館も、今でも年に数回出掛けている。
 さて、最初に持ち出した図書館に話を戻す。新装開館したと知ってしばらくぶりで出掛けて、すっかり様子の変わった美術書の棚を見て回ったが、『おせん』はなくなっていた。慌てて検索して見たが、ヒットしなかった。
 一時的にデータが消えて、復活することもなきにしもあらずなので、今、念のため東京都立図書館HPの「東京都立図書館統合検索」で検索して見たのだが、都内には国会図書館にも所蔵がなく、九州の図書館に1箇所所蔵しているのみであった。京都国際マンガミュージアムには所蔵されているが、米沢嘉博記念図書館にはない。
 原装だったし、なんとか保存出来なかったのだろうか。恐らく「リサイクル」に出て誰かに拾われたのであろう。そんなに汚い本ではなかったから、いえ、むしろ綺麗な本だったからその誰かが今も所蔵していることと思う。
 この本の印象は鮮烈で、手触りまで思い出せる。幸せな2人の仲が、壺1つとともに壊れてしまう。雨の降りしきる中、しゃがみ込んで泣くおせんの姿に胸を締め付けられるようで、孤独な浪人生活を私は街中と図書館の中をうろつくことで慰めていて、もともと高校時代から単独行動が基本だった私はそれを堪らなく寂しいとか思っていなかったが、それでも度々ふと思い立っては『おせん』を眺めていた。表題作以外はなんとなく覚えている程度である。
 夭逝した作者楠勝平(1944.1.17〜1974.3.15)のことは巻末の追悼文*4に説明されていたように思う。
 たぶん、交通費と往復時間その他の手間を考えると、古本屋から買った方が、安いのである。
 古本屋に注文すれば、今週中に『おせん』を手にして詳しい紹介が出来るはずである。けれども今回はしないで置く*5。ある程度のデータは「楠勝平 おせん」で検索すればヒットするはずだから、興味のある人はそちらを参考にして下さい。
 それをしないのは、1つには困窮はしないまでも裕福とは云えないこと、もう1つは入手してしまうと手放すのが惜しくて堪らなくなってしまうこと、それから、ずらっと並んだ本の間をすり抜けて、ふと足を止めて下らん発見をする瞬間が、捨てがたいからだ。誰も褒めてくれないし、自分でもこんなことをしていてどのくらい意味があるんだか正直分からないのだが、文庫の異版・改版・改装を拾って行く作業も、東京なればこそこれだけ見られるので、金を掛けずに図書館で見ているから、これだけ拾えているのである。まぁ、カバーの一部がバーコードや分類票で見えないとか、カバーの折返しが切除されているとか、いろいろ不完全ではあるのだけれども。

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 図書館で本書を見る可能性は限りなく零に近いのだけれども、どこかで見付けてメモを取る機会もなきにしもあらずと思って(1)にして置く。

*1:2016年7月21日追記】この辺りの事情は2016年7月18日付「小林信彦『回想の江戸川乱歩』(12)」にやや詳しく書いた。【2017年5月15日追記】この図書館と女性司書について2011年3月8日に書いた断片に、註記を添えて2017年5月15日付「高校図書館」に上げた。

*2:当時、渋谷区の成人式にかとうれいこが来るというのを、同じサークルの足立区の野郎がやたらと羨ましがっていたのを思い出す。私が渋谷区民だったら、そいつへの当付けのためだけに出席したかも知れぬ。

*3:浪人時代のこの館のことは、既に別に詳細を記事として準備しているのだが、どこだか分かってしまうのでしばらく封印して置く。

*4:石子順造「楠勝平論ノート」。

*5:「おせん」のみを再録しているアンソロジーもいくつかあるらしいが、単行本の感覚が残っているうちは、見ないで置く。