瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鉄道人身事故の怪異(1)

 人身事故など何処の駅・何処の踏切でも起こっているだろう。
 実家を出て線路沿いのアパートの2階に住んでいたときのことである。ある夕方、ひっきりなしに通り過ぎていく列車が一向に通らなくなった。丁度駅と駅との中間で上りも下りも最も速度を出している辺りなので、ラッシュ時など1〜2分置きに数秒間TVの音も何も聞き取れなくなるような環境だったので、静かになると直に気付くのである。耳を澄ますとずっと踏切の警報音が鳴ったままである。踏切までは直線距離で50m離れていて、列車の通過音の方が揺れも伴って遥かにインパクトがあるので、普段はあまり気にならないのだが列車が通らなくなると急に鳴り響いていることに気付かされるのである。それでとにかく何事かと出て見ると、玄関先から望まれる踏切の向こうに、列車が止まっている。踏切上には、お爺さんらしき人物が倒れている。死んでいるらしかったが出血等もなく、停車していたのが上りだったのか下りだったのか覚えていないが、どうも、下り電車に接触して死亡し、そしてちょうど全車両が踏切を通り抜けた辺りで止まったのではないか、と今からすると思われるのだ。後で大家さんに聞くとやはり自殺で、近所のお婆さんだったそうだ。老人で、くすんだ色の服でズボンを穿いていると男だか女だか分からない。あんまりはっきり見えなかったし。その踏切と私のアパートの間に市の境界があって道が繋がっていないので、そこに見えていて直線距離では50mしかないのに、ぐるっと迂回して500mの道のりである。だから見に行こうとは思わなかった。自転車ならすぐなのだけれども、流石にわざわざ見に行くのは悪趣味である。
 それから、大学時代の友人に西武ライオンズのファンクラブに入っている野郎がいて、卒業後に何度か、野球観戦に誘ってくれたのだが、球場に向かう途中の西武鉄道の駅で、轢死体を見たことがある。待合せに遅れた記憶や、遅れそうでやきもきした記憶もないので、別に列車に遅延があったとかそういうことはなかったようだが、その駅は通過駅で、徐行しながら通過したので、駅の脇の踏切の、踏切とプラットホームの間の砂利の上に、筵を掛けられて、裸足の骨張った両足だけが突き出ていたのをしかと見たのである。紺色のズボンの裾が見えていたのは作業着だったのかも知れぬ。そして足には少し血が付着していたような気がする。
 事故を見た記憶がまずこの2度しかないのは、或いは少ない方かも知れず、他に死体を見た記憶がないのは、少ない方なのだろう。

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 「鉄道人身事故の怪異」と題して見たけれども、大体パターンは決まっていて、日中の人目の多い駅が舞台ということは多分ない。夜の踏切であることが多いので松山ひろし『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』(2004年11月25日第1刷発行・定価1300円・アールズ出版・223頁)では「踏切事故伝説」と呼んでいるが、踏切に限っている訳でもなさそうなので、鉄道の人身事故について語られる怪異現象ということである。
 この手の話を聞いたことは、何度かある。
 しかし、全く不合理な話で、子供の頃から合理主義者だった私はあまりまともに聞いていなかった。
 全くのデタラメと分かっているような話には寛大(?)なのだが、本当らしく語られる嘘話に対しては、子供の頃から何故か潔癖なまでの拒否反応を示してしまう。その名残が、本の誤植や思い込みによる勘違い、調査不足による誤記を訂正して示す、という当ブログでやってることに繋がっている、と言えそうである。
 真っ当なものが評価されず、偽物がいろいろと取り繕われて本物の如く振る舞っている、ということでは、博士論文や学術振興会特別研究員、AO入試や大学センター試験の改悪、それと同様に結果の出し方が明瞭でない(というか不明瞭と言って良い)一部のスポーツについても、最近大きなイベント(?)があったので苛々しているのだけれども、例によって時事問題にはあまり首を突っ込まないで置く。ほとぼりが冷めた頃、書くかも知れない。
 話を鉄道人身事故に纏わる怪異に戻す。――初めて聞いた頃の、この話のイメージは、小学校の低学年の頃住んでいた貸家の近くの、地方私鉄の無人踏切なのだけれども、その後の記憶との混乱が生じている可能性が大きいので、今は場所等は示さずに置く*1
 どんな話なのかというと、踏切で電車に轢かれて下半身切断された人が、近くの電柱に上半身だけで這い上がって死んでいた、というものだった。下半身しか遺体が見付からない、ふと見上げたら……とかいう思わせぶりな語りもなく、ただそれだけだったように思う*2
 その後、中学を卒業する間際にも、同じような話を聞いた。当時私は怪談の聞書きをしていて、この話も筆記した記憶はあるのだが、清書の段階でそのノートが出て来なかったため、怪談集の草稿に収録することもなく、今や何処を探せば当時のメモが出て来るかも分からないので、記憶に頼って書いて置く。或いは、余りにも馬鹿馬鹿しいと感じて書き留めなかったのかも知れない。とにかく、そんな曖昧な記憶だから、これもしばらく場所を示さずに置く。

 あるとき、第二踏切で自殺があった。死体には首がない。ところがその轢断された首が、いくら周囲を探しても見当たらない。
 第二踏切の東詰の南側はアパートで、その隣が「■マン■」という洋菓子店。夜になってそのアパートの踏切に面した部屋の住人が風呂に入ろうとしたら、浴槽の残り湯の中に首が浮いていた。

 

 第一踏切は駅の近くにあり、第二踏切は少し離れたところにあった。男子中学生に洋菓子を買って食す趣味も金もないので、洋菓子店の存在は知っていたが、どんな店なのか全く知識がない。駅に行くのに第二踏切の西詰を通っていたが、渡る必要はなかったので踏切越しに眺めるばかりで、前を通ったことも殆どなかったろう。第二踏切の東詰の通りはまだ舗装されていない砂利道だったような気がする*3。この話をしたのは、この辺りに住んでいた、中1のときの同級生だったような気がするが、はっきりしない。
 とにかくこんな内容だったと思う。浴槽の蓋を開けたら、と聞いたような気もするのだが、そうなると完全なホラーである。とにかく私は聞かされるや例の合理精神を発揮して、あれこれと辻褄の合わないところの説明を求めたように思うのだが、こんな話の説明を求められても、困っただろう。
 とにかく、そこで馬鹿馬鹿しいと思って捨て置くか、何とか辻褄を合わせようとするか、と両様の反応があって、後者の努力が、話を成長させてしまうのに違いない。(以下続稿)

*1:2016年11月23日追記】この貸家に住んでいた頃のことは、2016年5月24日付「昭和50年代前半の記憶(1)からしばらく回想した。

*2:詳しくは覚えられなかったし、確かめられなかったのだろう。その踏切の話、という訳でもないのだろうけれども、小学2年生にとって踏切と云えばまずその無人踏切が想起されるので、結び付けてぼんやり記憶しているのだ。

*3:これで舗装道だったのなら、それだけ記憶の当てにならないことの証明になろうと云うものだ。