ここで2017年1月3日付(03)及び2017年1月4日付(04)に小池壮彦『幽霊物件案内2』を取り上げただけで中絶していた「10年以上前の文献」の「例」を、幾つか挙げて見ようと思う。
・日本の現代伝説『ピアスの白い糸』(1)
まづ、2016年12月19日付「『夢で田中にふりむくな』(1)」に紹介したときに貼付出来なかった書影を示して置く。
- 作者: 池田香代子,高津美保子,渡辺節子,大島広志,常光徹
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1994/11
- メディア: ハードカバー
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なお、1節め・13〜18頁12行め「見るんじゃねぇ!」、2節め・18頁13行め〜20頁11行め「私、どうなったの?」、3節め・20頁12行め〜22頁1行め「笑った首」は、事故で千切れた首が、喋ったり笑ったりしたと云う、生首系(?)の話だが、怪異談と云うよりは、2014年5月3日付「鉄道人身事故の怪異(05)」2014年5月4日付「鉄道人身事故の怪異(06)」及び2014年5月5日付「鉄道人身事故の怪異(07)」に引いたように、小池壮彦が『東京近郊怪奇スポット』にて、踏切事故で下半身を轢断された上半身がしばらく生きて動いていたと云う話を実話として扱おうとしていたのと似たような心理で、語られているように思われるのである。
全く信じている訳ではないが、ひょっとしたらあり得るのではないか、と思えるような話で、小泉八雲『怪談(KWAIDAN)』にも「策略(Diplomacy)」と云う、打ち首になった生首が、石に齧り付くと云う話が、本当のことらしく述べてあった。
上半身が追ってくる話が、ほぼ鉄道に限られる(例外は2016年11月21日付「鉄道人身事故の怪異(12)」に紹介した稲川淳二の怪談)のに対し、生首の話は鉄道に限らない。胴体の轢断は鉄道でないと難しいが、首は飛びやすいのであろう。私は幸いにして、道路でも鉄道でも轢断された死体を見たことがないのだけれども。
話を事故車に戻そう。常光氏は、このパターンの話について次のように纏めている。50頁17行め〜51頁6行め、
事故車がひきおこす怪事には、次のようないく通りかのパターンが読み取れそうだ。
A 前の持ち主が起こした事故と同じように事故を起こす。【50】
B*事故で死んだ人間の姿(主に首)が、バックミラーや窓ガラスにうつる。
*事故で死んだ人間(運転手や助手席にいた女性)の声が聞こえる。
C*車の表面に異様な形が浮き出る。
*クラクションがひとりでに鳴る。
類話2では、事故車が最後には買い手から見放されるが、ハナシによっては転売され新たな犠牲者/をうむ。
3月27日付(7)に引いた、昭和45年(1970)6月の「週刊少年マガジン」に載った北海道→青森県の例はB(バックミラー)であるが、2016年11月15日付「今野圓輔『幽霊のはなし』(06)」に紹介した、昭和46年(1971)頃に青森県で流行った話は「ボンネットに、血だらけのなま首だけが、ひょいとのっかるという」Bがどぎつくなったものであった。
これが、ソアラの話になると群馬県のことになるのである。(以下続稿)