瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鉄道人身事故の怪異(09)

 5月6日付(08)の続き。
 小池氏は「中川鉄橋」の「追ってくる屍体」について説明する前に、145頁3〜9行め、下山事件(1949)や三河島事故(1962)、それから沿線で起きた首都圏女性連続殺人事件(1968〜1974)、女子高生コンクリート詰め殺人事件(1989)、警察庁長官狙撃事件(1995)、柴又三丁目女子大生殺人放火事件(1996)を挙げて「常磐線という路線」に「戦後の重大事件の舞台になったこととも関係する」、「独特の翳*1」が「まとわりつ」いていると云い、「そもそも」は「小塚原刑場のあった土地を分断している」ことにまで言及するのです。
 それから、145頁10行め〜146頁6行め、常磐線での人身事故(主として自殺)について、平成18年(2006)及び平成20年(2008)に発生した6件を紹介します。
 こうして盛り上げて(?)から、146頁7〜9行め、

 かくしてこの路線のどこに幽霊が出ても不思議ではないのだが、その昔に常磐線の線路/で上半身の幽霊が出たという場所は、金町と亀有の間あたり、ちょうど中川を渡る鉄橋付/近である。目撃者は運転士であり、それなりに根拠のある怪談である。

とようやく本題に触れ、しかしそこで中川についての説明になり、新中川(中川放水路)の「開削に合わせて開通した‥‥京葉道路」の「新中川にかけられた一之江橋付近で交通事故が多発し‥‥高度成長期には幽霊が頻繁に目撃された」ことを指摘、この京葉道路の方は小池壮彦怪奇探偵の実録事件ファイル 幽霊は足あとを残す』(1999年3月20日第1版第1刷発行・扶桑社・333頁)第三章「怪奇探偵、怪談から隠された戦後史を暴く」の「高度経済成長の犠牲者への鎮魂歌――京葉道路の怪談」の節に詳述されているのですが、そこまで念を押した上で、148頁2〜3行め、

/そして一方の常磐線の中川鉄橋でも、京葉道路開通の年に、怪奇な事件が勃発していた。/次に述べるこの事件が、後々まで現場に上半身の幽霊を浮遊させることになったのである。

として、148頁4行めに「*」を14字下げで挟んで、5行めから事件の具体的な説明に入ります。
 けれども、肝腎の「運転士」が「目撃」した「上半身の幽霊」がどんなものだかは、全く説明されていません。事故の説明の方は、後日取り上げることとしますが、この「後々まで現場に‥‥浮遊」した「上半身の幽霊」というのでは、小池氏がこの章の導入に使用した、稲川怪談の「生首」やら「野方の踏切」事故やらとは、違っていると思うのです。ここまで持ち出されて来た「鉄道での人身事故」絡みの例は、死亡直後もしくは普通なら即死しているはずの深手を負ってなお動いている人がいた、と云うのですから、厳密にいうと『東京近郊怪奇スポット』にも断ってあったように「怪談」ではなく実話(のはず)なのです。それに「上半身の幽霊」がどんな風に出現したのか、も気になります。線路の上に上半身だけで出現したのでは、丈が低過ぎて運転席の高さからではなかなか気付けないでしょう。この、運転席の高さの問題は、2013年4月26日付「御所トンネル(2)」及び2013年5月1日付「御所トンネル(4)」を参考までに挙げて置きます。そうすると、上半身だけが浮いて――「浮遊」して――いたのでしょうか? とにかくどのように現れて、運転士にどんな反応をさせたのか、くらいの説明は、最低限欲しいと思ってしまうのです。
 幽霊についての説明が殆どないとすると、何について詳述しているのか、ということになりますが、それは自殺した若者と、その死体発見時に起こったちょっとした事故について、なのです。(以下続稿)

*1:ルビ「かげり」。