瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介「河童」(1)

 昨年の12月21日に第82回全日本フィギュアスケート選手権の男子ショートプログラムの中継を見ていたら、次の選手の演技の最後の、決め(?)ポーズのところ*1で、家人が、

「どうかカッパと呼んでください」

と言って笑ったのである。

 私は、度々言及しているけれども、2011年1月1日付「森鴎外『雁』の年齢など」に述べたように、有名な小説は読まないことにしていたので、芥川の作品も中学生の頃に実家にあった新潮文庫1806『蜘蛛の糸杜子春』と、確か高校生の頃に新潮文庫1804『羅生門・鼻』を読んだことがあるくらいで、後は「人を殺したかしら?」とかをちょいちょい読んだくらいなのである。
 だから「どうかカッパとよんでください」と言われても何のことやら分からなかったのだが、訊いて見るに、決めポーズのところが、髪型と云い顎に手を当てているところと云い、例の芥川の写真を意識しているとしか思えないので「河童」の冒頭の一節を思い出した、と言うのである。
 それにしても、芥川に似せた(?)決めポーズのところで「どうかカッパとよんでください」とは、「河童」で芥川本人が、自分を「河童と呼んでください」と言っているみたいだから、流石にそれは奇妙ではないか、と思って原文に当たってみると、原文では

 どうか Kappa と発音して下さい。

なのであった。近代デジタルライブラリーでは生原稿『大導寺信輔の半生』(昭和五年一月十四日印刷・昭和五年一月十七日第一刷發行・定價貳圓・岩波書店・280頁)が閲覧出来るが、生原稿では

  河 童
    どうかKappa と発音して下さい。
          芥 川 龍 之 介

となっており、『大導寺信輔の半生』177頁(頁付なし)の「河童」の扉*2には、題の左下に

    どうか Kappa と發音して下さい。

とある。この作品集は277〜278頁、「昭和四年初冬」付の菊池寛「跋」に、277頁11行め〜278頁1行め「‥‥。今/彼が、晩年に書いた若干の作品が、全集から、引きはなされて單行本として世に出されるこ/とも、‥‥」という由来の本である。ちなみに279頁「「大導寺信輔の半生」作品年表」に、収録される11作品について1段め「作  品」2段め「執 筆 年 月」3段め「發  表」が示されるが、その最後に、

|河  童|大正十五年十月―昭和二年二月中旬|同年三月、「改造」に發表。  |

とある*3。(以下続稿)

*1:5月10日追記】3:50の辺り。【8月15日追記Youtubeに挙がっていた「Yoji Tsuboi - 2013 Japanese Nationals SP」だが、削除されてしまった。別の大会でも同じプログラムを滑っているが、決めポーズを横から撮っていたり、正面から撮っていて顎に手を当てていても髪型が違ったりするので差替えはしないで置く。画像検索すると決めポーズの写真は閲覧出来る。

*2:なお、見開きになっている右側の頁付は「174」で、文章も完結していない。すなわち国会図書館本は175〜176頁の1枚が脱落している。「河童」は「目次」に「起一七七頁」とあり、扉の裏の冒頭の頁付も「178」である。

*3:初出誌も一応確認して見たいが今はその余裕がない。【5月20日追記

芥川龍之介 新潮日本文学アルバム〈13〉

芥川龍之介 新潮日本文学アルバム〈13〉

新潮日本文学アルバム13『芥川龍之介』(一九八三年十月二十日発行・一九八三年十二月五日二刷・定価九八〇円・新潮社・111頁)の90頁上に縦組みでキャプション「「河童」と掲載された昭和2年3月号「改造」」とあって、右側に掲載誌(1)頁の写真、原稿から推測出来る以上のことは特になさそうなので、急いで確認するようなことはしない。左側は掲載誌「改造」の表紙の写真で「改造 三月號/第九卷第三號定價五拾錢/昭和二年二月十八日印刷納本/昭和二年三月一日發行」の文字が読める。