瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介「河童」(2)

 だから「よんでください」という記憶自体は間違いとは言えないので、実のところは「河童」の文字を「カッパと読んで下さい」という、発音の指定なのであった。しかしながら、家人は「読んで」ではなく「呼んで」と発音したので、何時しか「発音して」が「読んで」になりそれが意味の方で捩れて「呼んで」だと思い込んでしまったので、そうすると、作家の分身たる主人公が、自分のことを「河童と呼んで下さい」と言っているのだから、すなわち作家本人も「河童」のつもりになっているのだ、と、――そんな受止め方を、していたのだった。
 ところが、Wikipediaの「河童」項を見ると、平成17年(2005)4月14日の初投稿時から次の一文があり、その後も削除も修正もなされないままである。

副題には「どうか Kappa と発音して下さい。」という半ば不可解な言葉が記されている。


 けれども、これは単に「発音」の指定と取れば良いのではないか。それ以上の意味があるのかも知れないが、表面的には「発音」の指定でしかないはずだ。
 何故指定しないといけないのかというと、全国的に分布している妖怪「河童」には、地方ごとに様々な呼称があるので、その数ある読み方の中で「カッパ」と読んで欲しい、ということで、現在の私たちは「河童」とあれば「カッパ」と読むものだと決めているが、当時はそのような統一は必ずしもなされていなかった、ということなのだろう。――私のような単純な人間はそれで腑に落ちるので、それ以上の含意を読み取ろうという気持ちはさらさら起こらないのである。
 そのときはこんな風に家人を説き伏せて、別に何ともしなかったのだけれども、その後、筑摩叢書26『柳田國男対談集』(昭和39年11月15日初版発行・昭和40年4月25日3版発行・¥420・筑摩書房・290頁・四六判並製本)を読んでいて、収録される11篇の最後、247〜284頁「銷夏奇談」に以下のやりとりを見付けたのである。263頁上段6行め〜下段6行め、

   河童・狢・狸
 菊池 芥川はこの頃河童という話を書いたが、河童の話/をやってくれないか。
 尾佐竹 面白そうなやつですね。
 菊池 あれに因んで一つ河童の話を。なんにも知らない/外の連中に話をするようにしてやって下さい。
 柳田 芥川君が皮肉なことを書いたもんだから、方々か/ら河童の質問を受けてよわる。
 芥川 あれを kappa と読んでくださいと書いたのを、/何か僕がペダンチックに書いている、気取っているように/文壇では取ってるようなんだが、僕が特に断ったのはいろ/いろ地方によって読み方があるからですよ。
 柳田 かどうとも言うし、かわわらべともあの字は読めるでしょ/う。
 芥川 それからガッパという土地もありますからね、そ/【上段】の土地によってちがうからカッパと言ってくれと断ったん/ですけれども、そう取ってくれないんです。
 菊池 変に取っているね、――僕の郷国の讃岐あたりに/は河童の伝説はちっともないんです。
 柳田 あなたの国は狸が多いでしょう。
 菊池 それは多いです。高松では、‥‥


 途中、文字を小さくしたところは「河童」の振仮名なのだけれども、振仮名を振れないのに漢字の「河童」の方を示しても仕方がないので、振仮名の方を示して置いたのである。
 末尾(284頁下段15行め)には「(『文芸春秋』昭和二・七)」とある。芥川が自殺した月の号である。出来れば初出誌から抜きたかったのだが、いづれ見る機会があれば注記することにする。
 出席者は柳田國男(1875.7.31〜1962.8.8)・尾佐竹猛(1880.1.20〜1946.10.1)・芥川龍之介(1892.3.1〜1927.7.24)・菊池寛(1888.12.26〜1948.3.6)の4名。私などには非常に面白い対談で、また別の箇所を抜いてみようと思っているのだけれども、ここで芥川は、まさに「読んでください」と言っている。理由は私が察した通りだった、というか、普通に考えればこうとしか取れない。もちろん、それでも深読み出来ると思う人を止めようとまでは思っていないけれども、その場合、芥川本人は単に「読み方」の指定以上の含みはない、と断っていることに触れた上で、自説を開陳すべきだろう。もちろん、そんなことをしたら(知らんぷりした場合に較べて)説得力が甚だしく減退してしまうけれども、それは仕方がない*1

*1:芥川の研究者には分かり切ったことかも知れないけれども、9年余もWikipedia「河童」項の思わせぶりな書き方がそのまま放置されていること、それから研究者とまでは行かない人で、芥川本人の弁明を知らずに変な説を思い付く人がいないとも限らないと考えて、挙げて置く次第です。