瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『死の枝』(2)

新潮文庫2226(2)
 2012年10月9日付(1)の続き。
 ②71〜102頁③85〜122頁「家紋」の冒頭、1頁めは扉で2頁めは1行分空白、ついで2行取り5字下げで節番号「1」があって、次のような書出しである。②の改行箇所を「/」で、③のそれを「|」で示した。

《或る地方ではめったに殺人事件は起こらないが、起これば迷宮入りになることが多|い。こ/れは信仰のために信徒の間に共同防衛意識が強く、聞きこみが困難だからであ|る》*1
 と、或る検事総長が体験を語る回想記で述べている。
 ――それはこうした地方の一つであった。
 事件は報恩講の終りの晩に起こった。‥‥*2


 この小説のモデルとなった事件については『死の枝』を読んだ当時、いやそれ以前だったか、ネット上にもいくつか上がっているのを*3見たし『福井県警察史』も見た。赤マントについて調べ出して後、1月2日付「赤いマント(72)」に示した物集高音「赤きマント」もこの事件に触れていることを知った。但し2月5日付「赤いマント(105)」に、この事件を「赤マント」に関連づける物集氏の説はいけないとの私見を示したまでで、その説の詳細は示していないのだけれども、これ以上突っ込みを入れようとも思っていない。この事件についてはごく最近のものだけれども、オカルト番長のサイト「オカルトクロニクル」の、2014年3月22日更新の記事「青ゲット殺人事件――都市伝説となった事件」が、今のところ一番詳しいようだ。
 それはともかく、物集高音「赤きマント」を読んで、物集氏は『死の枝』には触れていないのだけれども、松本氏のいう「或る検事総長が体験を語る回想記」とはこの本のことだ、と思ったのである。『赤きマント*4』53頁下段7〜17行め、

『犯罪の縮図』は昭和二十二年、開明社から出版さ/れた。事件後、四十一年が経っていた。著者中野並/助氏は元検察官だった。副題が『検察38年の回想』/だった。昭和十九年には検事総長になった。氏はか/つて福井県へ赴任した。そこは極端に殺傷事件が少/なかった。が、大事件が迷宮へ入りやすかった。氏/は真宗門徒の善心が捜査の障害たり得ると書いた。/罪を知っても、この辺の人は口外しないとした。聞/き込みが難しいとした。皆、「うっかりした事は云」/わないと記した。それと昔の事件捜査の失敗があっ/た。「赤毛布事件がそれ」だった。*5


 この本が最初に持ち出される場面では、48頁上段17〜18行め、

 古本だった。赤い表紙だった。『犯罪の縮図』と/云う凡庸なタイトルだった。

とあった。私もこの『犯罪の縮図』を見ようと思ったのだけれども、まだ見ていない。(以下続稿)

*1:ルビ「あ」。

*2:ルビ「ほうおんこう」。

*3:2020年7月31日追記】何故か欠けていた2字を補った。

*4:2016年2月11日追記】ここの書名のみ「赤いマント」と誤っていたのを修正した。

*5:ルビ「ぜんしん」。