・讀賣新聞
当時まだ「朝日新聞」しか縮刷版を出していません。私は『朝日新聞縮刷版』の原本を見ることが出来ましたが、日本図書センターから復刻版が出ていますので閲覧はそんなに難しくありません。私にはやっぱり紙の方が見やすいので、「聞蔵II」はまだ検索していません。他紙はマイクロフィルムを見に行くのでなければ「毎索」「ヨミダス歴史館」にて当時の紙面を見ることが出来ます。
・昭和22年8月16日(土曜日) 西暦1947年 第25368号 5版(2)
「讀賣新聞」も表裏2面ですが頁付が入っています。記事は10段で11〜12段めは小説と広告、13〜15段めは広告で15段めは2段分あります。見出しは7〜8段めの2段抜き。本文には振仮名が若干附されていますので、その語の後に注を附して示して置きました。冒頭の括弧(【 】)は半角*1。
三死体発見
浅間の爆発で五十余名遭難か
【小諸電話】 浅間山は十四日ひる/爆発*2したが十五日朝登山した長野/縣埴科郡森村靑年團岡田公德君ら/一行五名は旧噴火口付近で三人の/靑年の死体と桑子の名前の入つた/水筒腕時計を発見、さらに鬼ノ押/出岩に面した斜面にも死体らしい/ものがあつたと同日夕刻*3峰の茶屋/7段め》に下山して届出た、遺留品により/うち二人は栃木縣足利郡北郷町桑/子鶴吉*4(二四)同郡毛野村小泉某*5(二二)/君と判つたが他は身許不明
なお十四日朝星野温泉に荷物を/ 預けて登山した東京都世田谷区/
玉川奥沢町一の二三九外務省嘱/ 託中沢堅郎(三三)同義生(二五)君ら/
をはじめ沓掛口から登つた五十/ 余名の安否が氣遣われ同夜小諸/
口から救援隊が登山したが火山/ 灰の堆積で死体発見が極めて困/
難のため十五日朝下山した
「讀賣新聞」に出た記事はこれのみのようです。
星野温泉は信越本線沓掛駅(現・しなの鉄道中軽井沢駅)の北約2km、現在位置よりやや北の標高1000m付近です。噴火当日の夜にも救援隊が登山していたことも、「朝日新聞」「毎日新聞」には見えない情報です。
以上3紙では「朝日新聞」が最も要領を得ているように思いますが、他紙も含めてなお経過を確認して見ようと思います。(以下続稿)