瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

岡本かの子『老妓抄』の文庫本(4)

 私が「老妓抄」を読んだのは、当時お堀端にあった図書館の、奥の明るい一室にあった文学全集の棚に並んでいた岡本太郎装幀の冬樹社版『岡本かの子全集』第四卷(昭和四九年三月一八日初版第一刷發行・446頁)でであった。但し「東海道五十三次」等を平成11年(1999)11月に読んでいるのに、「老妓抄」や今年1月の大学入試センター試験に出題されてちょっとした話題になった「快走」を読んだのは、平成22年(2010)4月であった。
 何故「老妓抄」の前で読むのを止めたのか、例の有名作品を読む気がしないという捻くれた性分のせいかも知れぬが、それを読もうと思ったのは動画サイトで「文學ト云フ事」を見掛けたからだろうと思う。
 「文學ト云フ事」は放映当時、風呂上がりの火照りを冷ますために見ていた。小学生の頃から風呂洗いを担当していたのだけれども、風呂水を流すのが勿体なくて仕方がない。父が最後に入ると、なみなみと張ったままになっている。これをそのまま流すのは如何にも惜しい。そこで大学生の頃から最後に入るようになった。最後に入っても、父の後だと熱い。しかし埋めると水嵩が増してしまって、最後に入る甲斐がない。……こうなると何が得だか損だか分からないが、こんな按配で深夜番組をぼんやり見るようになってしまったのである。
 2011年1月1日付「森鴎外『雁』の年齢など」での言及は、当時の記憶に拠るのではなくて、動画サイトで見ることが出来たためである。実は2012年6月6日付「太宰治『斜陽』の文庫本(1)」に書いたように、殆ど何も覚えていない*1。いや、覚えていたとして動画サイトで見た「予告篇」や、ネットで検索して知り得たことに、今やすっかり書き換えられてしまった。

 この番組については、当ブログを始めた頃に取り上げようと思って記事を書いた(当時は記憶もあった)のだけれども、何となく放置しているうちに下書きの在処が分からなくなってしまった。
 そして、今はなきあの明るい図書館の、あまり人気のなかった奥の一室を思い出すのである。
岩波文庫31-064-1『河明り・老妓抄 他一篇

・1956年1月9日第1刷発行(146頁)
・1992年2月26日第2刷発行 定価350円*2
・2006年2月23日第3刷発行 定価460円
 私の見た第3刷の表紙は、ここに貼付した書影とは異なっている。
 この書影のカバーの掛かったものが第2版で、偶然だが現在ヤフオク!に「'92年[春]リクエスト復刊」の帯の掛かったものが出品されているので、平成4年(1992)であったことが分かった。
 第3刷のカバー表紙は、本体表紙と同じデザインである。
 1頁(頁付なし)扉、3頁「目  次」、5頁(頁付なし)は「河明り」の扉で6頁から本文、各作品の冒頭は2行空白。1頁18行、1行43字。86頁12行めまで。87頁(頁付なし)は「老妓抄」の扉で、113頁11行めまで。115頁(頁付なし)は「東海道五十三次」の扉で139頁7行めまで。最後(141〜146頁15行め)に吉田精一「解説」。
 本文は歴史的仮名遣いに本字。
 奥付やカバーなどは他の版と比較する機会があれば記述することにする。
 目録は12頁、「'05,9.現在在庫 B-1(〜5、A-1〜4、H-1)」と「岩波文庫の最新刊」の「2005.12.」と「2006.1.」。(以下続稿)

*1:これらの作品も放映当時は読もうと思わなかった。

*2:2016年9月18日追加。